ナント3大陸映画祭報告2007

5.国情映す「男と女」の物語

2007/12/02

中州(ナント島)からロワール川越しに見たナントの市街地

 26日は台湾、中国、フィリピンのコンペ作品3本を見た。

 世の中、男と女はさまざまな形でかかわりを持つけれど、その生きる方向が違えば、かかわりは刹那(せつな)的なものでしかない。男に生きる希望がないとしたらなおさらだろう。少しでも生にしがみついていれば、その刹那的なものも続くだろう。ただ、愛に渇いた女だからといって、そう都合良くいつまでも付き合ってくれない。2人の方向が一致すれば、これはもうラブストリーだ。

 同じ日に見た3本、男と女の「かかわり」、その根源にある欲望について考えさせられた。そして、それぞれの国情も影を落としているように感じた。

 リー・カンション監督の「ヘルプ・ミー・エロス」には、台北のマンションのワードローブでマリファナの木を育て、一緒に呼吸することで何とか生きている男アジェが登場する。捨て鉢になって自殺ホットラインに電話した彼は、電話口で優しくて親身に相談に乗ってくれた女性に恋してしまう。だが、彼女のことを知ろうとしても拒否され、マンション近くの歓楽街でセクシーな姿でたばこ売りをしている若い女性シンに電話口の女性を重ね合わせて深い関係になる。ただ心には電話口の女性が居座っている。

 アジェはシンの仲間の女性2人とも親しくなり、マリファナの力を借りて、互いに欲望を満たし合う。しかし心は埋まらない。電話口の女性をつけ回しても、嫌がられるだけ。最後に彼は、マンションから身を…。

 カンション監督は、台湾映画の鬼才ツァイ・ミンリャン監督の全作品で主演を務めている。ツァイ監督の処女作「青春神話」(1993年)は、経済成長に浮かれる台北を舞台に、若者たちの不安感や孤独感を親との確執とともに、単純な構図で描いたもので、最優秀処女作品賞を得た。ナントで初めてツァイ監督と出合い、彼の感性とともに主演リーの演技にもひかれた。これ以降、2人の”共作”で都会の若者たちを描いてきた作品(「愛情萬歳」=94年、「河」=97年など)からは目が離せなくなった。

 そんな中、2003年、リーはツァイ監督の提案で、同時に短編を製作して1つの作品にしようと撮影を始めるが、それぞれが長編となり、リーは「迷子」で監督デビューを果たす。原因不明の伝染病がまんえんする台北の街を、孫を見失った祖母と、祖父を見失った孫がさまようのだが、本当の迷子は誰なのか。釜山映画祭最優秀アジア新人作家賞、翌年のロッテルダム映画祭でグランプリと、高い評価を得た。

 ツァイ、リーのコンビは05年、過激なセックス描写が騒動を巻き起こした「西瓜(すいか)」をつくる。愛と性に渇いた女と、AV男優との奇妙にねじれた”純愛”が描かれる。今回の「ヘルプミー・エロス」も過激なセックスが登場するが、そこには純愛は存在しない。心の中でタイトル通りの言葉をつぶやいたとしても、救いはない。その意味ではリーの映画は、今後どこを目指すのだろうか。

 その点、中国のツー・チャンミン監督の「冬の物語(冬天的故事)」は、エロスに救いを求めたりしない。偽ブランドの衣類などを販売する男は、マッサージの女性と深い関係になるが、2人で食事している店に魅力的な女性がいると、そちらに視線がいってしまう。そんな彼に気付いた彼女は去っていくのだが、彼の持つ癒しに引かれて戻ってきたりもする。ただ、2人の気持ちは交わらないままだ。ヒトはどうして異性にひかれるのか、そしてほかならぬ誰かに決めてしまうのはなぜなのか。手持ちカメラでドキュメンタリータッチにとらえられた今の北京は猥雑でエネルギッシュだが、その陰でヒトは孤独を感じているかのようだ。

 フィリピンのジャデ=フランシス・カストロ監督の「Endo(契約切れ)」は、今時珍しいまっとうなラブストーリーだ。

 ファストフード店で働くレオは、仕事を頑張り、時に仲間と騒ぐ典型的なフィリピンの若者だ。職場の同僚の誕生日プレゼントに靴を選んだことで、店員のタニアと知り合う。今とちょっと先の幸せしか考えていないレオにとって、タニアはちょっと変わった女の子だった。彼に夢を持ってもっと計画的に生きるべきだと話し、自らがステップアップしていくさまを見せる。レオもその気持ちになって、ファストフード店を辞め、洋品店で働き始める。2人は気持ちを通わせ、刺激し合う充実した日々が続く。タニアは希望していた客船乗務が決まる。「夢がかなったね。僕は僕で頑張るから」。レオはタニアの夢の邪魔にならないように考えてこう言ったのだが、タニアの心中は複雑だった。「どうして私を離さないと言ってくれないの」。無理がたたってタニアは職場で倒れる。彼女の本当の気持ちに気付いたレオは「もう離さないよ。づっと一緒だよ」と宣言するのだ。

 タイトルのEndoは、end of contract を縮めた言葉で、臨時雇いの最後の日、契約切れを意味する。ただ、後ろ向きではなく、新しい仕事へのスタートの意味合いが込められている。

 先に見た2作の刹那的なエロスの中に、何とか自分の存在を確かめようとするのに比べると、「Endo」はあまりにも真っ正直なラブストリーだ。最近、日本や韓国などでラブストリーが目立つ。純愛が成立しえない世界だからこそ純愛を描き、見る方もそこで安堵(あんど)してしまっている。そんな風潮でいいのだろうか、と少し苦々しく思っていた。予備知識なしに見た「Endo」は、レオとタニアを演じた若い2人の演技のはつらつさもあって、素直に見ることができた。フィリピンが、映画のままに「明日が信じられる社会」であって欲しいと思った。

* * *

巨大な動くゾウ。歩いている姿を見られなかったのは残念

 ナントは、ロワール川とともに発展してきた。中心市街地に面した中州の旧造船所の跡地を再開発しようという動きが進み、今年から新たなアトラクションもできていた。

 それは高さ12m、幅8m、重さ45トンの動くゾウ。まず巨大さに圧倒される。骨組みは鋼鉄と木材で造られ、450馬力のエンジンで4トンの油を送り出して、時速1〜4キロでゆっくりと動く。今はやりの限りなく本物に近い、とは逆の発想で、洗練された木工技術で姿を形作る一方で、骨格と動力関連はむき出しのまま。少しミスマッチながらバランスが取れていて、見ていて飽きがこないのだ。このゾウは背中と両脇腹に部屋があり、45分コースで遊覧ができる。 12mの高さからの景観は見ものだろうと期待していたが、訪れた日は休みで、残念ながら雄姿を眺めるだけしかできなかった。

微妙な足の動きが、ユーモアですらあるイカ。後ろに見えるのはエイ

 近くの「機械たちのギャラリー」には、ゾウと同じように鋼と木で造られているが、大きさは5分の1くらい、小型のイカやアンコウ、エイなどもいた。ここも休日だったのだが、たまたまいた職人が、遠来の客ということで、走らすことは駄目だったが、イカの足やエイのひれを動かしてくれた。それぞれの微妙な動きがちゃんと再現され、どうしたらこんな動きができるのかと考えていると、時間はあっという間に過ぎた。1〜2人が乗れるようになっていて、動物だけでなく飛行機なども造られていた。職人によると、それぞれの作品ごとにふさわしい人たちが集められ、完成すると戻っていくそうだ。設計後に必ず、木で精巧なミニチュアをつくるそうで、その作品も並んでいた。2年後には、これらを統合した巨大なメリーゴーラウンドが誕生するという。通り一遍のアミューズメントでないところが、何ともフランスらしい。全体を考えた植栽のほか劇場やギャラリーなどの構想もあり、全体が本当に完成するのにはまだ10年近くかかるそうだ。関心がある方は、「Les Machines de l'ile」プロジェクトのサイト(http://www.lesmachines-nantes.fr/index.html)をご覧ください(表記はフランス語のみ)。

 再開発はこれだけではなく、元のバナナ倉庫を活用した飲食店やギャラリー、川べりの道にアート作品を連ねる、船での遊覧なども始まっている。中心市街地の飲食店関係者からは商売敵と見られているようだが、週末などは若者を中心に人が集まるようになったという。映画祭とは別な楽しみができた。

筆者紹介

桂 直之(かつら なおゆき) 北大卒。1972年、河北新報社入社。学芸部で映画評担当。山形総局長、編集局次長を経て2007年4月から三陸河北新報社常務。三大陸映画祭には1989年以来、13回訪問。NPO法人「シニアのための市民ネットワーク仙台」の会報にコラム「なんでもシネマ」を連載中。地域FMラジオ石巻で月2回「シネマ・パラダイス」を担当している。