東京国際映画祭2007

1.アジアの風部門プログラミング・ディレクター、石坂健治氏に聞く

2007/10/20

 20回目を迎えた東京国際映画祭が20日から開幕されました。映画祭が創設されたのはバブルまっただ中の1985年。当初は隔年開催で、35歳、3本目までの“若い”監督に限定されたヤング部門の第一回目の栄えある受賞者は相米慎二、作品は「台風クラブ」でした。その後、 “インターナショナル”と“ヤング”の2部門のコンペができたり、隔年が毎年開催になったり、バブルがはじけた後は、コンペが1部門になり、1等ゴールド賞2000万円、シルバー賞1000万円だった賞金が激減したり(現在は1等の賞金は10万米ドル)、紆余曲折を経て今に至っています。映画祭が“成人”となった記念の年、東京の20年とは何だったのかを考えながら、映画祭をレポートしてみたいと思います。

 実は今年から各部門のプログラミング・ディレクターが一新されました。映画祭のなかで最も着実に地歩を固め、発展してきたアジアの風部門も、中国映画通の暉峻創三氏から国際交流基金専門員として様々な映画祭を企画してきた石坂健治氏に。それで、まずは石坂氏に直接インタビューして、今年の映画祭を語ってもらうことにしました。

―アジアの風のプログラミング・ディレクターという仕事を引き受けたのは?

「巨大な映画祭に身を置いて見たいと思ったんです。18年間、国際交流基金でアジア、中東を中心に映画祭を企画、開催してきて、それなりの人脈も出来たし、これまで培ってきたものを総合的に発揮できる仕事がしてみたいと思ったことですね」

―前任者の暉峻氏との違いは?

「彼は東アジアの映画を層厚く紹介してきました。それは、小泉・安倍政権下、対東アジア外交がストップしていた時代に、東アジアとつながりを保ち続けたという意味でも大きな意義がありました。アジアというのは元々欧米が作った概念で、アジアの捉え方は様々で、例えば外務省の考え方ではアジアとはパキスタンまで、なんですね。僕の場合はアジアを、中東を含めた広い範囲に捉えたいと思っています。インドネシアからフィリピン、マレーシアと、イスラムの帯を伸ばしていくと自然に中東に至るでしょう。つまりはサッカーの予選リーグの区分に近い。昨日の試合(五輪予選で反町ジャパンがカタールに2−1で負けたこと)を見ていても、日本人はイスラム系に弱いし(笑)。それで、東アジアの同質性から出て、日本人をイスラムという異文化にさらしてみたいと思っています。9.11以降、イスラム文化といかに交流していくかが課題になっていますよね。それに東アジアの映画は、韓流にしても香港映画にしても、しっかりしたファンがいて、彼らは僕より詳しいくらいだし、情報が共有できているので、ほっといても大丈夫だと思うんです」

―今年のセレクションの中でお薦めの作品は?

「例えば、硬軟の硬はイラク映画の「砂塵を越えて」。これはクルドから見たイラク戦争を描いた作品です。軟はエジプト映画の「カット&ペースト」。女性監督のハーラ・ハリールはヒット・メーカーで、主役のハナーン・トルクはクレオパトラと讃えられたほどの美人女優ですが、この映画の後、女性の割礼に反対してバッシングにあい、映画界を引退してしまったんですよ」

―石坂“アジアの風”の特色は?

「まずは“特集”。今年はエドワード・ヤンの追悼とすぐに決まりました。それから、僕が映画祭で必ずやらなければいけないと考えている、埋もれた作品の発掘です。これは“ディスカバー”というセクションで、今年は長い間、完全版が失われていたキム・ギヨン監督の幻の傑作「高麗葬」を上映します。それから、見せ方もアジア的にしたいと思っています。つまりフランス料理でなく、居酒屋。1品1品出てくるのでなく、あらゆるものが1つの皿にのっている。何でも好きなものが選べる居酒屋メニュー。そして、グルメ(美食)というよりグルマン(大食い)で」

―前任の暉峻氏はシャイな性格で表に出たがらなかったけど、誰が運営しているのか顔が見えにくい、ということが東京映画祭の悪い点の1つだと思うんです。

「僕は対談にも出ますし、全部は無理ですが、上映の3分の1くらいには顔を出しますよ」

(2007年10月18日、映画祭事務局にて)

筆者紹介

齋藤敦子さん 映画評論家。パリで映画編集を学んだ。フランス映画社宣伝部から90年にフリーとなる。G・ノエ、グリーナウェイの諸作品を字幕翻訳。最新作は「麦の穂をゆらす風」。「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「奇跡の海」(幻冬舎文庫)などの翻訳書も。