東京国際映画祭2007

4.受賞者へのケアが必要 − コンペ部門(下) −

2007/10/28

 エラン・コリリンの「迷子の警察音楽隊」は、アラブ文化センターの開館祝いのファンファーレを演奏するためにイスラエルを訪れたエジプトの警察音楽隊が、ちょっとした不運と手違いから、砂漠の真ん中にある小さな町で迷子になってしまう、というもの。イスラエルとエジプトという仇敵の国の国民が、究極の状況で裸の人間同士として触れ合うさまを描いた、暖かいユーモアのある作品でした。

 「エリック・ニーチェの若き日々」は、デンマークの王立映画学校の入学試験に偶然合格した落第生エリック・ニーチェが、エリート主義の教授やクラスメートたちを相手に悪戦苦闘しながら映画監督になるまでを描いたもの。脚本はラース・フォン・トリアーで、ナレーションも彼が担当していますが、自らの体験を元にしたと思うのは間違い。トリアーは開校以来の天才と言われた人ですから、これはフェイク自叙伝と思った方がよさそう。ただし、監督したトリアーの後輩にあたるヤコブ・トゥエセンにはトリアーほどの才気はなかったようで、それがちょっと残念でした。

 「誰かを待ちながら」は、「明るい瞳」が日本公開中のエリック・ボネルの新作で、妻と離婚した後、毎週同じ娼婦と同じホテルで過ごすカフェの主人(ジャン=ピエール・ダルッサン)、彼の妹で、仕事が忙しく、なかなか相手をしてくれない夫に不満を感じている教師(エマニュエル・ドゥヴォス)、ふらりと町に舞い戻ってきた青年たちを主人公に、静かな町に住む平凡な人々のささやかな欲望と孤独を描いたもの。感じのいい映画でしたが、もう少し毒があった方が映画としての輪郭が出てきたように思いました。

 「青い瞼」は今年のカンヌ映画祭の批評家週間に出品されていた作品で、メキシコのエルネスト・コントレーラスの長編デビュー作。ユニフォーム会社に勤める孤独な娘が、会社の創立記念のクジで、海辺のリゾートで1週間過ごせるペア・チケットを当てたものの、誰も一緒に行ってくれる人を見つけられず、町で偶然声をかけられた、昔のクラスメートだと名のる男を誘うが…、というストーリー。荒涼とした孤独感の描写に、思わず2004年に東京グランプリを受賞したフアン・パブロ・レベージャとパブロ・ストールの「ウィスキー」を連想しました(昨年レベージャが自殺したのは、ファンとして本当に残念なニュースでした)が、彼らほど達観したユーモアが見られないのは、コントレーラスがまだ若いからかもしれません。

 映画祭が始まったとたんに忙しくなってしまって、全作品を追いきれなかったのですが、中で私が好きだったのは、リー・チーシアンの「思い出の西幹道」でした。1978年、中国北部の小さな町を舞台に、軍医を父に持つ年の離れた兄弟と、二人が同時に好きになってしまう北京から来た美少女とのふれあいを描いたもの。ロウ・イエの「ふたりの人魚」や田壮壮の「呉清源」などの撮影監督を務めたワン・ユーのカメラがすばらしく、美少女を演じた中央戯劇学院の4年生のシェン・チアニーがテレビ出演の経験がある以外は、すべてアマチュアを起用したリー監督の演出とがあいまって、独特の世界を作り出していました。写真は、渋谷の東急Bunkamuraで開かれた記者会見の模様で、左から主演のシェン・チアニー、監督のリー・チーシアン、脚本のリー・ウェイの各氏。弟のキャラクターには監督自身の子供時代が投影されているそうです。また1978年という時代設定について、文化大革命は終わったものの、改革開放はまだ始まっておらず、前進を続けてきた世の中の動きが止まり、先が見えなくなった不安の年。1978年のリズム、当時の人々の考え方は映画が描いた通り、とのことでした。

 さて、今年はどの作品が受賞するでしょうか。実は、昨年の第19回で東京サクラグランプリを受賞したのは、「OSS117 カイロ、スパイの巣窟」というパロディ版スパイ映画でした。このまったくの娯楽映画の受賞に首をひねった人も多いと思いますが、私もその一人。最終日に、受賞者と審査員の記者会見に出向いたとき、ヴェネチアで別れたばかりのガリン・ヌグロホにばったり会い、彼と話すことができたのと、ヴェネチア映画祭ディレクターのマルコ・ミュラーとも会ったので、彼ら審査員がなぜこの映画を選んだのか、その真意をうかがい知ることが出来ました。それは、推察するに、コンペティションのレベルの低さへの審査員からの異議申し立て、だと思われました。観客賞を受賞し、その後アカデミー賞も受賞した「リトル・ミス・サンシャイン」ではなく、わざわざ「OSS117」を最高賞に選んだのはなぜか。「OSS 117」がグランプリ受賞作として東京映画祭の歴史に永遠に刻まれることに、審査員たちの痛烈な批判が感じとれたのです。

 今年の審査員長のアラン・ラッドJrは、昨年のジャン=ピエール・ジュネほどの皮肉屋でないことは確かでしょうし、その他の審査員の顔ぶれからみても、礼儀正しい受賞結果が出るとは思います。けれども、どんなにすばらしい作品が選ばれても、今までのように、その後のケアをほったらかしにしては、どんどん他の映画祭に才能をとられていってしまうだけ。受賞者を映画祭の財産にするには、引き続き彼らの活躍を見守り、必要ならば支援することで、つながりを固め、継続していくことです。そして、それこそが東京の最も欠けている視点であると私は思います。

筆者紹介

齋藤敦子さん 映画評論家。パリで映画編集を学んだ。フランス映画社宣伝部から90年にフリーとなる。G・ノエ、グリーナウェイの諸作品を字幕翻訳。最新作は「麦の穂をゆらす風」。「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「奇跡の海」(幻冬舎文庫)などの翻訳書も。