河北抄

 「『あなたの子は生き残って、私の子はなぜ死んだ』。言われるはずのない声が聞きたくなくて−」
 先ごろ訪れた那覇市の対馬丸記念館で展示パネルに目が留まった。わが子の生還を手放しで喜べない親の苦悩は、東日本大震災にも通じる。
 1944年8月、那覇を出港した疎開船対馬丸が鹿児島県悪石島沖で米軍の潜水艦に撃沈された。学童約780人を含む1500人近くが死亡したとされるが、詳細は今も分からない。
 97年に見つかった船体の引き揚げを政府は断念。代替案として2004年に開館したのが記念館だ。対馬丸とほぼ同じ大きさで建てられた。犠牲者の刻銘板や遺影、生存者の手記が並び、最後に亡き子どもたちが問い掛ける。
 「ときどきでいいのです どうかわたしたちのことを思いだしてください あなたは海へ行くことがありますか? 海へ行って海の水にさわりますか その水は、私たちの眠る悪石島の海へつながっているのです」。南の海にもたくさんの涙が溶け込んでいる。


2018年12月21日金曜日


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