河北抄

 かなり昔のこと。仙台市表柴田町、仙台一高南側に木製の標柱が立っていた。「林子平終焉(しゅうえん)の地」とあった。風雨にさらされて朽ち果て40年前に撤去された。
 子平は、鎖国の惰眠をむさぼる国情を憂い、『海国兵談』などで海岸防備の大切さを説く。江戸幕府の怒りを買って仙台藩士の兄の家に幽閉され、56歳で没した。興の向くまま行動し、人を食った奇行の持ち主だったとか。
 戦前は軍部のバックボーンとして利用され、戦後は平和と国際協調の下で隅に追いやられと世評はぐるぐると巡る。死してなお、落ち着く先が見つからない。
 昨夏、同じ地に縦75センチ、横100センチの説明板が建てられた。肖像画やマップなど4枚の写真を載せ、「ゆかりの地」と銘打っている。「列強に脅かされる幕末情勢を予見した子平は郷土の誇り」と仙台市文化財課が設置した。
 思想や主義主張の波間から解放され、安住の地を得てほっとしているだろうか。こだわり性の彼のこと。「せっかくなら、目立つように大きく作ってほしかった」と言っているような気もする。


2019年05月29日水曜日


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