河北抄

 政宗ばかりがヒーロー扱いされる伊達家の人々の中で、息子の忠宗が武術に優れていたと知る人は少ないだろう。
 仙台市博物館には、大雨で増水する川にざぶんと騎馬で入り、渡り切ったとの史料が伝わる。鉄砲を構えれば百発百中の腕前。なるほど衣冠姿の肖像画に鞍(くら)を載せた馬と鉄砲2丁が描かれている。
 2代藩主になってから法制度や組織づくりに精を出す。父親ほどのカリスマ性がない分、家臣団の力でまとめようとしたようだ。いつの世も2代目はつらい。
 忠宗の跡継ぎと目された人物に、次男の光宗がいた。さっそうとしていて和歌を得意とした。勇武の血筋を受け継いだのか。牡鹿半島へ狩猟に行き、1人で鹿を数百頭も仕留めた。まだ18歳そこらの頃である。「お家の行く末は安泰じゃ」と皆をうならせたに違いない。
 惜しいかな、病を得て翌年、帰らぬ人に。藩主は弟の綱宗となる。酒色に溺れ、不行跡で隠居させられた。伊達騒動の引き金となる。「歴史にもし」は禁じ手だが、光宗が存命だったらどうだったろう。霊廟(れいびょう)は松島・円通院にある。


2019年06月05日水曜日


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