河北抄

 仙台市若林区の保春院にある玉虫左太夫の墓に酒や花を手向ける人が絶えない。戊辰の役で奥羽諸藩の調整役となり、会津藩のために奔走した。そうした行動をとがめられ、47歳で切腹させられた。
 江戸末期、幕府訪米団の随員として米国の軍艦に乗り、ビールを味わった。「苦いがうまい」と言ったとか。酒豪の仙台の侍という評判はこの時から。見聞した大統領や議会制度に目を開かれ、「航米日録」を著す。デモクラシーの本質を捉えた良書として近年、再評価される。
 ひ孫に化学者の文一がいる。東大の助手時代から会津藩出身の総長、山川健次郎に「仙台の玉虫か。あの時は世話になった」と目をかけられた。文一は東大、東京女子大の教授を務める。
 血筋は争えないもの。末裔(まつえい)にはドイツ文学者、憲法学者、日本美術史の泰斗らがずらりと並び、いまも活躍中だ。
 左太夫ファンは「もし切腹となっていなかったら何をしていたか」という話を好む。政治家、自由民権活動家など想像は膨らむが、やはり学究の道を選び、仙台で教壇に立ったような気がする。


2019年06月17日月曜日


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