河北抄

 仙台藩では殿様のことを「お屋形様」と呼ぶ。夫人は「お前様」と称し、住まいした建物を奥方と呼んだ。
 後ろに控えているイメージを持たれるが、なかなかどうして。表舞台で動き回った。「あなた、大変よ。ご公儀ではいま…」。当時も女子会のような情報交換会があったのだろうか。鋭い注進によって危機を乗り越えている。
 働き者として7代重村の正室・観心院がいる。1795年2月の江戸屋敷での行動記録が残る。将軍家に月3回のあいさつ、神社参詣、法要、家臣にご褒美と17回の行事をこなしていた。
 藩の後半には早死にする藩主も多く、跡継ぎと目される子どものしつけ係となる。ある夫人は「自分の考えをはきはきと言いなさい。もう18歳なんだから」。
 女性史の研究とともに実像がよみがえってきた。東北学院大の菊池慶子教授は「夫を立てながらも果たした役割は大きく、相当の権限を有していた」と話す。家政という言葉はここから広まったのかも。江戸時代は案外、開放的との再評価がここでも始まっている。


2020年01月31日金曜日


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