河北春秋

 「釜本(邦茂)さんらと同じ式典会場にいるのが不思議だった」。日本サッカーへの功績で殿堂入りした加藤久さん(62)は振り返る。一緒に殿堂入りした1968年メキシコ五輪代表の面々と壇上に並び、あの銅メダルに感激した小学6年の自分に戻ったという▼宮城県利府町の海辺で育ったサッカー少年は仙台二高、憧れの釜本さんらが出た早大でボールを追い、3年生で日本代表。主将としても歴史に残る試合を戦った。サッカー協会の要職やJリーグの監督も務めながら、大切にしたのが若い世代の育成だった▼「シュートは膝から下を軽く振るんだ」。同県女川町、石巻市の中学校で加藤さんを取材したのは6年前。被災地の子どもたちとサッカーを練習し、見事な手本を見せた。協会特任コーチを買って出て、岩手、宮城の沿岸を巡った▼「東北の海辺を知る自分にしかできぬ仕事だった」。校庭に仮設住宅が建ち、ボールを蹴る場もない小中学生の応援を−と協会や現役選手らに訴えた。寄贈の芝が植えられたグラウンド、支援の防球ネットが張られた屋内練習場が生まれた▼「子どもの笑顔が消えた国は滅びる」という欧州の格言が胸にあったという。自らの小学生時代の憧れのように、被災地にまいたサッカーの小さな種はどう育つだろう。(2018.9.14)


2018年09月14日金曜日


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