河北春秋

 夢だったのではないかと思うことがある。小学5年の夏休み。暑い日だった。午後、自転車で学校のプールに出掛ける前に雷のようなごう音が響いた。窓から空を見上げたが、青空が広がるばかり。おかしなことがあったのは帰り道だった▼空から細切れの綿が降ってきた。「何だ、これ」。友達と顔を見合わせた。1971年7月30日。岩手県雫石町上空で全日空機と自衛隊機が衝突し162人が犠牲になった雫石事故である。自宅が隣町にあった。綿が墜落した機体の座席の一部だったのではと思いが至ったのは後々のことである▼85年に日航ジャンボ機事故が起きるまで、日本国内で最大の犠牲者を出した航空機事故だった。国が重大事故の原因を究明する航空事故調査委員会(現運輸安全委員会)をつくる契機にもなった▼あすで48年を迎える。五十回忌を来年に控え、雫石町の墜落現場跡地にある「慰霊の森」で大規模な改修工事が行われている。老朽化した航空安全祈念塔は建て替え、慰霊堂も改修する。11月に完成の予定という▼慰霊の森は町民が大切に守ってきた。毎年の慰霊祭は三十三回忌で一区切りとなったが、改修が空の安全に改めて思いをはせるきっかけになればと思う。あの夏、頬に触れた綿の生温かさは今も忘れられない。(2019.7.29) 


2019年07月29日月曜日


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