河北春秋

 20年ほど前、津軽半島北岸の袰月(ほろづき)(青森県今別町)を取材で訪ねた。地区の長老が「記念に」と小粒のメノウをくれた。「舎利石」といい、釈迦(しゃか)の霊骨代わりに拝む人がいて、今もそれなりの需要があるそうだ。春と秋の大潮の日に、露出した海底で拾えるという▼19世紀の初めまで、津軽海峡に沿って数カ所の「狄(えぞ)村」があった。袰月などの狄、つまりアイヌが舎利石を弘前藩に献納した記録が残る。東北地方にも広く住んでいたはずのアイヌ。いつしか北辺に追いやられ、くさぐさの恵みを海に得て暮らしを立てていたのだ▼多賀城市の東北歴史博物館で、特別展「蝦夷」が24日まで開かれている。東北人の源流とも言える蝦夷が史料に登場するのは6世紀半ば。その頃の読みは「えみし」。11世紀末には「えぞ」に変化する。蝦夷とは何者か、考えさせられる展観だ▼蝦夷はアイヌなのか。江戸時代からさまざまな考察があった。現在は、アイヌのようでもあり、倭人(わじん)の文化も持つ複雑な存在と捉えられている。民族の名称ではなく、国家の統治外にいる人々をまとめてそう呼んだのだ▼蕨手刀(わらびてとう)の美しい曲線、意匠を凝らした玉の首飾り。展示資料の数々に、豊かな精神世界が浮かび上がる。蝦夷はどこへ行ったのだろう。海峡の風景が浮かんでくる。(2019.11.10) 


2019年11月10日日曜日


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