社説

終戦記念日/歴史の教訓を生かす知恵を

 終戦直後、歌人の土岐善麿は<あなたは勝つものと思つてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ>という歌を作っている。勝つ自信はともかく、勝利を願う思いは当時の国民に共通であった。歌ににじむのは悔恨の念だ。
 開戦時、勇ましい歌をこの人は詠んだ。<許しがたき不遜無礼を今こそは実力のもとに撃ちのめすべし>。斎藤茂吉ら他の著名な歌人たちもまた、熱に浮かされたように同様の作品を残している。
 二・二六事件に共感を寄せた女流の斎藤史でさえ例外ではなかった。時代の熱狂がそうさせたのだろう。作家の五木寛之氏は当時を「国民は戦争のサポーターであった」とスポーツに例えて最近の対談で回顧している。
 開戦から敗戦、そして戦後の歩みをつまびらかに知る現在の目から振り返れば、歴史の分岐点における国家の選択の誤りは明白だ。しかし、どんな時代であれ、人々は指導者も一般の国民も時代と格闘しつつ懸命に生きたのだ。
 歴史に対するそうした当然の敬意を失うことなく、現代という高みから過去を見はるかすのでもない。謙虚な態度で、失敗から教訓をくみ取る努力をわれわれは不断に続けなければならない。
 最近の歴史研究などを参照すれば、戦争を回避する手だてがあった事実が浮かぶ。日米開戦を前に、当時の一線の経済学者が軍の委託でまとめた戦争経済に関する報告書でも、日本の致命的な敗北を高い確率で予測していた。
 それでも政府は日本を巡る国際情勢の楽観的な展開を予想し、それを頼りに開戦へと進む。新聞をはじめ強硬な世論も後押しした。過ぎてみれば、米ソ冷戦へと不可避的に動きだす時代まで少し待つ選択肢もあった。
 一方、近時、主として米国で公開された新たな文書などによって、米国が日本との戦争を願っていた事実は疑いようもなくなっている。当時の米政権は、共産主義に共感してソ連と通じていた一部高官によって操られていた驚くべき史実も判明している。
 第2次世界大戦によって日本はあくまで概数だが、約310万人の死者を出した。このうちの約80万人は非戦闘員である一般国民の死者だ。空襲、艦砲射撃、沖縄戦、原爆投下、旧満州からの引き揚げ時など、むごたらしい犠牲を数限りなく生んだ。
 被害ばかりではない。忘れてならないのは、加害者としての視点だ。戦争相手国もまた、莫大(ばくだい)な経済的な損失、癒やしがたい人的被害を同様に受けている事実は、改めて指摘するまでもない。
 戦後73年間、日本は平和と繁栄を享受してきた。歴史学の新たな知見によって過去の実相が明らかになる中で、冷静な洞察の上に立って教訓を生かしていく。戦争の辛酸をなめた先人に対する私たちのそれが義務でもあろう。


2018年08月15日水曜日


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