社説

住民投票条例案否決/議論深める機会を無にした

 東北電力女川原発2号機(宮城県女川町、石巻市)の再稼働の是非を問う住民投票条例案を巡り、宮城県議会は15日の本会議で、議案を賛成少数で否決した。
 自ら意思表示をしたいと署名した11万人を超す県民の願いはかなわなかった。住民投票は、多くの課題を抱える原発の問題に関し、県民が考え、理解を深める絶好の機会となったはずだ。それだけに否決は残念な結末だ。
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から8年。被災地の住民は事故の惨状を目の当たりにし、今なお避難が続く福島の被災者へ思いを寄せてきた。
 原発事故の影響は宮城県内でも続いている。水産物の輸出禁止や汚染廃棄物の処理など、問題は暮らしに直結している。まして女川原発は足元にある原発だ。重大な事故が起きた場合、30キロ圏内に暮らす住民は21万人に上り、避難先は県内全域に及ぶ。
 県民が「わがこと」と捉えて、原発再稼働を問う住民投票を求めたのは当然だ。住民の政治参加の機会を認めなかった県議会の責任は、大きいと言わざるを得ない。
 村井嘉浩知事は条例案に付した意見で賛否を明らかにしなかったが、条例制定には消極的な考えをにじませた。意見は条例案の課題を指摘する一方、県民の暮らしや安全への言及はなかった。「判断は議会に委ねる」として議論の土俵に上らなかった村井知事の姿勢は「人ごと」のようにも映った。
 住民投票は有権者が個別の政策に意思を表明し、間接民主主義を補完する制度だ。本来、首長や議会と対立する関係ではなく、互いに補い、高め合う関係にある。
 過去の住民投票をみれば、住民は単に感情任せで投票しているわけではない。むしろ投票に先立って正確な情報を集め、それを基に多様な議論を重ねている。そうしたプロセスを通じ、投票と結果への責任を養っている。
 東北電力巻原発の建設を巡り、1996年、直接請求による住民投票が行われた新潟県巻町(現新潟市)には、こんなエピソードが残る。「町民なら誰であれ、3時間は原発の話をすることができた」。それだけ住民はエネルギー問題を学び、賛否の根拠や地域の将来像について意見を交わしたということだ。
 今回の条例案に関しては、賛否の二者択一を迫る選択に「多様な意思が反映されない」との批判もあった。しかし、県民の多角的な議論こそ重要であり、その過程で住民の多様な思いをくみ取り、熟議して政策に生かすのが政治の役割ではなかったか。
 福島第1原発事故で原発の在り方が転換点を迎えている今だからこそ、有権者が議論を尽くし意思表示する住民投票は大事にすべきだった。条例案否決で住民に無力感が募る事態を憂慮する。


2019年03月16日土曜日


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