社説

東日本大震災9年/復興はどこまで進んだのか

 体験したことがない激しい地震動とそれに続く巨大な津波によって、9年前、東日本は言語に絶する悲劇に直面した。がれきが延々と続く廃虚に立って、あの時、私たちは願った。以前よりも安全で豊かで住みよい地域に何としても再生しなければと。
 そうして、重い足取りで一日一日を万感の思いを胸に秘めて過ごしてきた。では、その結果としての現実は、どうだろう。各種のアンケートで明らかなように、多くの人が今なお自分たちを被災者であると感じたままなのだ。
 東日本大震災からの復興を中心的に担う復興庁のサイトを見ると、事業の進捗(しんちょく)状況が記してある。公共インフラの整備は進み、おおむね完了という表現さえ見られる。けれども、被災地の実情はそうした数字とは程遠い。
 経済的な苦境にあえぐ中小の事業者は多く、災害公営住宅では自殺を含む孤独死が増加している。高台に移転した地域では新たなコミュニティーの再生がままならない。住民が散り散りになった地域にはもはや戻る人は少ない。
 震災による巨大な経済的損失に加えて、全国的な人口減少、もともと私たちの地域を悩ませてきた過疎の問題などが絡み合って、創造的復興は掛け声倒れだ。震災前の状況にすらまだ戻っていないのが震災9年の現実である。
 憂鬱(ゆううつ)にさせるのは、そればかりではない。三菱総研が昨年11月にまとめた東京都民へのアンケートは、福島県民に対する全く科学的根拠を欠いた偏見や差別意識が根強くある実態を浮き彫りにした。
 「福島の人にがんなどの健康障害が後に発生する」という答えが半数に近く、さらには「これから生まれる子や孫に健康影響が出る」が4割もいた。東京電力福島第1原発事故による放射線被害に関する悪意ある風評である。
 こうした意識自体が差別そのものであり、震災の被災者が直面している深刻な2次被害と言える。誤った認識が残存する現実には、無念さを禁じ得ない。いわれのない差別や偏見に何故さらされなければならないのか。
 落ち着かない気分にさせるのは「復興五輪」の理念を掲げた東京五輪・パラリンピックも同じだ。スポーツの祭典に水を差すつもりはなく、当然ながら日本人選手の活躍に期待が高まる。被災地からも大きな声援を送りたい。
 しかし、その陰で被災地が置き去りにされてしまう不安もまた拭いきれない。震災からの復興を世界中に印象づけることで、被災地の苦しい現実があいまいに取り繕われてしまうのを危惧する。
 東日本大震災の悲劇からきょう9年を迎える。痛恨の極みではあるが、9年がたっても多くの人が被災の真っただ中に置かれている。この現実から目を背けることなく、苦しくても一歩一歩を着実に進んで行かなければと思う。


2020年03月11日水曜日


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