社説

憲法記念日/危機だからこそ生きる理念

 日本国憲法が1947年に施行されて以降、幾多の災害や経済危機、政治の混迷という峠にぶち当たってきた。
 ことしは、世界を恐怖に陥れる新型コロナウイルスとの闘いのさなかに、73回目の憲法記念日を迎えた。
 日本国憲法の思想を体現しているのは、「すべて国民は、個人として尊重される」の一文とされる。
 国家は国を動かす力を持ちながらも、国民一人一人の自由な生活空間を侵してはならないとうたう。
 人権の尊重と、相反する国家権力からの干渉を、どうやって均衡させていくのか。答えを探り続けてきたのが、戦後日本の民主主義の歩みと言える。
 正体の知れぬ感染症を前に、世論の一部には「もっと国民や経営者の私権を制限し、従わなければ厳しい罰則を」と求める声がある。
 強権をもって従わせる欧州やアジアの国に比して、生ぬるいということだろう。
 しかし、その声は大きなうねりにはならず、広がりを欠く。緊急事態宣言が出たころから、マスクをして外出を控えるのが日常になった。
 要請に対し、程よい付き合い方でこなし、順応しているように見える。政府も、自主的に自重してくれると期待している節がある。
 長い年月の末、「個人の自由」はしっとりと浸透し、いまの社会の力量で難局を乗り越えてみせるという静かなスタイルを身に付けたのではないだろうか。
 感染拡大が長引き、厳しい措置を求めたいとなったら、「言論の自由」に基づき、広く英知を集めて議論しよう。再び憲法の出番である。
 要請に従わない行動に対し、陰湿な嫌がらせをするのは避けたい。個々人の思考が止まり、全体の空気にのまれていくことにつながる。
 治療のとりでを守る医療従事者に、心ない態度と偏見のまなざしを向ける風潮もある。こういう時に国会と内閣は自制を求め、医療人を勇気づける強いメッセージを出してもらいたい。
 市民が憲法になじむ一方で、国政をつかさどる国会議員は、どれほど中身を理解しているのか、疑わしくなる場面が目立つ。
 森友学園を巡る公文書改ざん、「桜を見る会」で見られるように首相官邸に権限を集中させたあまり、国会の著しい機能低下を招いている。
 議院内閣制では、立法府と行政府は緊張感を働かせつつ、かじ取りをする。それとは裏腹に与党内の議論は低調で、長期政権の顔色をうかがうばかりである。
 国会はにらみを利かせてこそ、憲法の定める健全な秩序を生むと学び直すべきだ。
 立憲主義国家の行く手には、まだ宿題が待ち構えている。日ごろから点検を怠らず、不断の努力で成熟度を高めていきたい。


2020年05月03日日曜日


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