SEVEN BEACH PROJECT×今できることプロジェクト

七ヶ浜10人インタビュー

あの日までの10年、あの日からの10年、ここからの10年

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海苔づくりの伝統を継承しながら
浜の未来を考えるイノベーターに。
小池勇輝[こいけゆうき]さん
山形県出身、1994年生まれ。仙台市内の大学に進学し、4年次には就職活動にも励みましたが適職に出合わず、1年間フリーターとして過ごしました。そんな時、松島町でワタリガニ漁に関わるアルバイトを体験して漁師の仕事に興味が高まり、宮城県が主催する漁業就業フェアに参加。ここで、現在の親方である七ヶ浜町の漁師・寺沢春彦さんと出合い、漁師の道を歩むことを決めました。2019年には大学時代の同級生と結婚。20年9月に息子さんが誕生し、父親にもなりました。

野望多き若者はやりがいを求めて漁師に

 高校卒業後、地元を飛び出した理由を「とにかく、米沢で終わりたくないって思って」と語る小池さん。運動部を経験し、体を動かすのが得意なこともあって消防士を目指すも採用ならず、フリーターの道へ。「自分が目指すのは、スーツを着る仕事じゃないなと。人と違う職業を目指してみたいと思っていました」と当時を振り返ります。そして、漁師に関わるアルバイトがターニングポイントに。「開放感ある海の仕事が、本当に楽しいなって思えたんです」。そこで、漁業就業フェアに参加し、一通りブースを回ってみたところ、七ヶ浜支所運営委員長を務める海苔漁師の寺沢さんと巡り会いました。「あ、偉い人だ!って。この人についていけば間違い無いだろうと確信して、七ヶ浜の漁師になることを決めました」と話す小池さんは、まさに現代っ子らしい素顔をのぞかせていました。

先輩たちの理解に支えながら得られた自信

 七ヶ浜町に移住し、漁師になって3年目。海の仕事は危険も伴い、特に冬の作業は困難を極めます。「自分が手間をかけてきた海苔網から芽が出てきたのを見ると、本当にうれしくて。それが成長して収穫できた時は、たぶん他の仕事に就いていたら得られなかった面白さややりがいを感じています」と話します。小池さんを受け入れてくれた地元漁師の先輩たちにも感謝の気持ちも持っていて、「本来なら、自分みたいなよそ者が漁業権を取得するのは異例だったんでしょうけど、若い担い手として認めてくれていて、大いに理解を得られていると感じます」と笑顔。漁師としての手応えを聞くと、「当初、分からない事はたくさんあったんですけど、何とか身についてきているという実感は得られています」と、頼もしい声で答えてくれました。

浜に寄り添って生きる七ヶ浜漁師の未来

 七ヶ浜出身で大学の同級生だった奥様と結婚し、子どもも授かった小池さんは、今や自分は“浜の人”になったという境地に達しているようで、「早く海苔漁師として一人前になって、町の基幹産業となっている海苔の養殖を支えていく一人になりたいですね。親方たちをはじめとする先輩たちが、震災の津波で家も船もすべて流されながらも、ゼロから這い上がって再開させたすごさを聞いているので、その技術や伝統を受け継いでいきたいという思いもあります」と、この浜に根ざして生きていく決意も。さらに、「自分の後に続いて漁師になってくれる若い担い手を育てる取り組みも関わっていきたいですし、これからの新しい時代、漁業にITや機械化を取り入れていくのも、自分たち以降の若い世代が中心となって進めていかねばと思っています」と展望も教えてくれました。その上で、「新しい漁業のスタイルで挑戦している人たちからいろいろと刺激をもらいながら、もっと大きなビジョンを描いてこの仕事を続けていきたいと考えています」と話す視線の先は、花渕浜の未来を見据えていました。