SEVEN BEACH PROJECT×今できることプロジェクト

七ヶ浜10人インタビュー

あの日までの10年、あの日からの10年、ここからの10年

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愛着深い地元を元気にするために
住民の結束力を高める機会づくりを。
伊藤栄喜[いとうえいき]さん
七ヶ浜町代ヶ崎浜在住、1960年生まれ。震災当時は、多賀城市桜木のソニー仙台テクノロジーセンターに勤務しており、JFL所属の実業団サッカークラブ、ソニー仙台FCの部長として采配を奮った経験を持ちます。現在は、運送会社の総務職を務めながら、代ヶ崎浜地区の役員として「代ヶ崎浜こいのぼりまつり」や「よがさきおはじきアート」などに携わり、地域の活性化を支えています。

住民同士で楽しみを分かち合った地域のお祭り

 伊藤さんが生まれ育った代ヶ崎浜西地区は、海苔や牡蠣の養殖を生業とする漁師たちが多い地域だったそうです。西地区の広場では、4月末~5月上旬の期間、たくさんのこいのぼりと大漁旗を揚げ、5月の第2週目にお祭りを開催していますが、その大漁旗はかつて漁師だった方々から譲り受けたもの。伊藤さんの父親が地区の役員を務めていた20年以上前に始まったそうですが、地元の子どもたちはもちろんお年寄りまでたくさんの住民が集い、かつて浜でよく獲れたアサリの汁物やおにぎりなどを振る舞い、大いに賑わったそうです。現在は、茨城県鹿嶋市の有志からこいのぼりの寄贈を受け、さらにボリュームアップ。「広場の近くまで遊覧船が航行しているのですが、この時期は船上から色とりどりのこいのぼりや大漁旗が風になびく風景を眺めることができるんですよ」と話します。

津波の脅威を間近で体感しながら徒歩で帰還

 震災当時、自宅から多賀城市のソニー仙台テクノロジーセンターに通い、勤務中だった伊藤さん。強い揺れが発生し、多くの社員が構内の広場に集まりましたが、社内放送が津波の発生を伝え、3階以上のフロアに避難。「本当に津波なんてくるのかと疑っていましたが、みるみるうちに大量の水が押し寄せてきました」と、この時の情景を振り返ります。駐車場の自動車が流され、2日間、会社に留まって水が引くのを待った伊藤さん。あまりに寒さが厳しかったので、製品を梱包するダンボールを床に敷いたり体に巻き付けたりして、暖を取ったそうです。2日目の朝、七ヶ浜に戻ることを決心。電話で奥様や息子さん、両親は無事だと聞いていたので、自宅へ向かってひたすら歩きました。家屋は床上浸水でしたが倒壊は免れ、奥様と息子さんと再会。その後、七ヶ浜中学校の武道館で2週間、避難生活を経た後、再び自宅に戻り2階に居住しながら、再建を目指しました。

代ヶ崎浜の未来をみんなで描くおはじきアート

 現在は、穏やかな暮らしを取り戻した伊藤さん。事業縮小が決定したソニー仙台を早期退職して現職に就き、少し時間の余裕ができたことをきっかけに、代ヶ崎浜地区の役員として地域活動へ関わるようになりました。被害の多い地区ではやむを得ず町外に引っ越した住民もいましたが、「残った人たち同士で、互いに声をかけ合って協力していこうという空気を、以前よりも強く感じています」と話します。
 それでも、震災前より活気が失われてしまった感のある代ヶ崎浜地区。そこで、震災後にできた防潮堤に絵を描いて、この地域への関心を高めようというアイデア「よがさきおはじきアート」が発案されました。地区の住民が中心となり、防潮堤アート実行委員会が2019年4月に発足。ぼっけの「ボーちゃん」のイラスト作成者が原画を作成し、おはじきで100mにわたる壮大なアートを制作する取り組みが始まりました。伊藤さんも、完成を目指すアート制作者の一人。「一緒にアートを手がける子どもたちが、自分たちが暮らす地域を好きになって、ずっと住んでいきたいと思ってくれる場所にしたいですね」と、次世代に懸ける希望を教えてくれました。