考えよう、宮城県美術館のコト。

開館までの経緯

仙台市榴ケ岡に宮城県図書館新築移転1月

1964年 昭和39年

仙台市八木山動物公園開園7月

1965年 昭和40年

宮城県芸術協会(以下県芸協)が仙台市に美術に関する公的施設がないことから「美術館」の建設運動を常務理事会で決議6月

1967年 昭和42年

東北線全線で電線化と複線化が完成10月

国道48号に関山トンネル完成11月

1968年 昭和43年

宮城県、仙台市、河北新報社が共同出資し、市中心部の斎藤報恩館に「仙台美術館」を開館2月

1969年 昭和44年

仙台港開港7月

県芸協が県に「美術館を含む芸術文化活動に活用する大規模な文化センター建設促進」を要望すると決定。署名運動を展開10月

1971年 昭和46年

県芸協が県立美術館建設促進に関する陳情書を県に提出。山本壮一郎知事は「早急にこの問題を煮詰めなければならない」と応じる1月

仙台空港に2000メートルの新滑走路完成。ジェット旅客機就航2月

1972年 昭和47年

県が県立美術館建設準備委員会を設置2月

仙台市民会館開館11月

1973年 昭和48年

仙台市電廃止3月

1976年 昭和51年

美術館の開館は55年までに 県議会常任委1977年7月21日県内版7月

県立美術館構想、具体化へ動き出す 今秋にも懇談会発足 用地候補も数カ所「有力な用地は決まっていない。次善としては川内・青葉地区が問題が少ないとみられている。用地難から一時、県庁の本庁舎を利用する考えも出た」1977年2月13日夕刊掲載紙面1977年8月23日県内版8月

新仙台駅開業12月

1977年 昭和52年

宮城県立美術館 独立建設案が先行 本庁転用消える「本庁舎を保存して美術館に転用する案を退け、美術館の独立建設計画を先行させ用地選考に取りかかることにした」と報じる1978年2月13日夕刊1978年2月13日夕刊2月

県芸協が美術館の建設候補地を①川内 ②榴ケ岡公園 –とする要望書を知事に提出3月

県立美術館は榴岡に 候補地一本に絞る「県立美術館の建設場所は、仙台市榴岡の線がかなり有力になってきた」「交通の便、経済面、将来の都市構造などを総合的に比較、検討されている」と伝える1978年5月2日県内版1978年5月2日県内版 河北抄「榴岡の方が足場もよく、隣接の公園とセットだから、環境的には申し分ない」「仙台に美術館がないという恥ずかしい状況を一日も早く脱出–」1978年5月6日夕刊 便利さでは榴岡 県立美術館の候補地 山本宮城県知事語る1978年5月8日夕刊 5月

仙台空港からソウルへ初の国際便就航

12日、宮城県沖地震(M7.4)発生。仙台市などで当時の基準の震度5を記録。死者13人6月

美術館は川内 宮城県、建設場所固める 広大で地盤も安定 榴岡は狭く断念「候補地としてはこれまで、同市榴岡が有力だったが、面積が狭いことや先の宮城県沖地震の教訓などを考慮して、広大で地盤の安定している川内地区を最終的に選定した」1978年8月11日夕刊 宮城県立美術館計画 近く建設準備室「県立美術館建設計画は、建設用地を仙台市川内地区に選定したことに伴い本格的に動き出した」と伝える1978年8月24日夕刊8月

東北自動車道が県内貫通12月

1978年 昭和53年

抽象画の二人に焦点 収集の方針固まる1979年1月10日県内版1月

1979年 昭和54年

宮城県美術館 待望の起工式 開館は来年11月1980年1月29日夕刊1月

1980年 昭和55年

国道286号に笹谷トンネル開通4月

宮城県美術館 開館控え最後の仕上げ1981年10月15日夕刊 10月

杜の都 待望の殿堂 宮城県美術館きょう開館1981年11月3日第2朝刊 開かれた美の殿堂 宮城県美術館初日に5千人1981年11月4日朝刊1面 11月

1981年 昭和56年

東北新幹線大宮 – 盛岡間開業6月

1982年 昭和57年

開かれた県美術館 物議醸した先駆的存在昭和ゆめ仙台 あのころあのひと2005年3月20日県内版 3月

2005年 平成17年