社会課題 見つけ、調べ、表現
第31回新聞記事コンクール(河北新報社主催、東北6県教育委員会・仙台市教育委員会後援)の入賞作品が決まった。応募総数は1865点。東北の小学生、中学生、高校生が、時事問題、家族、伝統、コミュニケーション、コミュニティーなどをテーマに取材し、自分の考えをまとめた。最高賞の河北新報社賞と主要な賞に選ばれた作品を紹介する。(表記を一部直しています)
論説委員長賞
編集局長賞
防災・教育室長賞
河北新報社賞
名字の歴史と選択の自由
尚絅学院高(宮城県)2年 熊谷鈴乃(くまがい・すずの)さん
少し前に「2531佐藤さん問題」というニュースを目にした。2531年には日本人全員の名字が「佐藤」になっているかもしれないという、東北大のシミュレーションに基づくものだ。私はこのニュースを見て、最近何かと話題に上がる選択的夫婦別姓制度について、一人一人が考えるべきだと思った。
私の名字である「熊谷」をたどると、元禄時代に創業し、仙台で三百年以上の歴史を持つ和菓子屋「熊谷屋」に行き着く。小さい頃からよく食べていたため、この事実を知ったときはとても驚いた。私の家族からすると遠い親戚ではあるものの、長年地域で愛され続けてきた老舗店と同じ名前を語れるのは少し誇らしく、私はこの名字に強い愛着を持っている。
しかし、もし本当に全員が「佐藤」になってしまったらどうだろう。「熊谷屋」のように名字を冠した店や会社、それぞれの一族の歴史も、いつかは薄れて消えてしまうのではないだろうか。それはあまりにも悲しく、もったいないことだと感じる。
今の制度では結婚すると夫婦のどちらかが必ず名字を変えなければならず、多くは女性が変えることになる。その都度、免許証や銀行口座の変更手続きという手間がかかる。名字を変えることは生活に不便をもたらすだけでなく、自分の名字への愛着を手放す苦しさもある。もちろん、夫婦で名字をそろえることで安心感を得る人もいるだろう。しかし今の制度のままでは、別姓を望む人たちに選択肢が与えられていない。多様性を目指す社会なら、どちらを選んでも尊重されるべきだ。
名字とは文化であり、その地域の歴史の証しである。「2531佐藤さん問題」が示すように、同じ名字ばかりになると、その証しも失われていくだろう。私は自分の名字を大事にしている。だからこそ、誰もが自分の名字を大事にしながら生きられる、多様性を尊重する社会になることを願っている。
別姓の議論 注目したい
友達や出会った人の名字や名前の由来、込められた思いを聞くのが好きです。幼い頃から、父がよく「熊谷は仙台に根付いた名字だ」と話していました。北海道出身の母の旧姓は「七里」です。とても珍しいため、名字の話題は家庭でよく出ます。
熊谷姓をたどると、仙台駄菓子の老舗「熊谷屋」が本家に当たり、歴史がある名前です。
熊谷屋は仙台駅などにも出店していて、見かけるたびに誇らしい気持ちになります。
「2531佐藤さん問題」のニュースを聞き、面白いと思うのと同時に、愛着を持ち誇りに思っている熊谷姓も絶滅してしまうのか、と怖くなりました。心に強く残っていたので、以前から知っていた夫婦別姓問題について調べてみようと思いました。
多様性が尊重される時代に、なぜ別姓が許されないのだろう。背景にはやはり「男性の姓に変えるべきだ」という固定観念が残っているからだと思います。別姓だと家族の一体感が失われるという意見もありますが、姓が家族の全てではありません。
皆さんにも先祖をさかのぼり、名字のルーツを調べてほしいです。そうすれば愛着が湧くと思います。納得できる形で姓を選択できるように、国会での議論に注目していきたいです。
受賞には本当に驚きました。うれしいです。「熊谷屋」にも報告に行きます。
論説委員長賞
プールをなくさないで
宮城県松島町松島五小5年 飯嶋榮人(いいじま・えいと)さん
ぼくの前に3秒のかべが立ちはだかりました。今年のぼくの水泳学習のめあては、特級に合格することでした。クロール50メートルを1分以内に泳げれば合格でした。しかし、検定で1分3秒でした。特級に合格した友だちがいっしょに泳いでくれましたが、ダメでした。悔しかったです。
公立中学校でプールの授業の廃止が進んでいる記事を読みました。プールが古くなったり、熱中症を心配したりすることが理由です。
ぼくの兄が通う中学校のプールは、2020年に古くなったため解体されて、それからずっとプール授業はありません。ぼくの学校のプールは1992年に完成しました。東日本大震災で被害を受けて修理されています。だからまた、いつこわれるか分かりません。もし来年プールがこわれて授業がなくなったら、特級に合格できなくなります。いやだなと思いました。
気仙沼市が2023年に小学6年生に調査をすると、25メートル泳げる人が2017年度は80%だったのが、35%にへっていたそうです。新型コロナや猛暑の影きょうがあったからです。
泳げない人が増えたら、海や川で溺れる事故が増える危険性があります。それに、プールの授業はぼくにとって、泳ぎ方を学ぶだけでなく、自分の目標に向かって努力する時間です。みんなで助け合ったり教え合ったりすることで友だちとの仲も深められると思います。
だから、プールの授業をなくさないでほしいです。気仙沼市では、市内のスイミングクラブにいらいして、希望者に泳ぎ方を教える教室を開くことにしました。このように民間の屋内プールを使うなど、工夫して水泳の授業を続けてほしいです。
論説委員長賞
平和な社会を築くために
岩手大教育学部付属中3年 玉木杏奈(たまき・あんな)さん
「火垂るの墓がテレビで放送されるんだって」。何げない私の言葉に友人は「えっ無理無理」と強い拒否感を示した。思っても見なかった反応に疑問を感じて理由を聞くと友人は「怖いから」と言った。
私は母も以前「戦争関連のニュースは心が苦しくなるので見たくない」と言ったことを思い出した。さらに友人と話すと、なんと友人はそのアニメを見たことがないという。戦争の実態を知らないまま「戦争」という言葉のみを恐れることに疑問を感じた。
私は戦後80年という節目に広島に行った。一人一人の写真やボロボロになった服が80年間苦しみ続けているようで胸が締め付けられる思いになった。そして一人一人の亡くなられた方の体験を知るうち、私がいかに戦争について知識が浅いかを痛感した。
今まで私は被害にあわれた方、一人一人に目を向けず、全体の数という大きなくくりでしか見ることができていなかったのだ。それは本当の戦争の理解とは言い難い。被爆者の方のお話や資料を見る上で、私は戦争への理解は数という全体的なものと捉えるのではなく、被爆者の苦しみについて考え、思いをはせることだと思う。
原爆資料館で見た資料の中には、あまりに悲惨な様子に目を背けてしまいそうになったものもあった。同年代の子も苦しんでいたことが想像もつかなかった。だが未来を生きる私たちは戦争という過ちを二度とくり返さないために戦争を知ることは重要だと思う。
確かに戦争を恐れること自体間違っていない。ただ正しく戦争を知り、正しく戦争を恐れることが大切ではないだろうか。広島に行く前の私は、なぜ戦争をしてはならないのか、言葉にできなかっただろう。しかし自分の目で見て、罪のない人の命を無差別に奪う戦争は絶対にしてはならないと思う。戦争を知る。間接的ではあるが中学生として平和な社会を築く一歩であると考える。
論説委員長賞
本当につながっているもの
宮城県小牛田農林高3年 武田小梅(たけだ・こうめ)さん
育ててくれた親から離され、泣きながら生みの親へと返される子ども。中学生の頃、流れてきたニュースに衝撃を受けた。里子として育てられた子どもが、「本当の親」という理由だけで、慣れ親しんだ家族から突然引き離されたのだ。泣きながら手を伸ばす姿が頭から離れない。血のつながりがあるかないかで家族が決められてしまうことに違和感を覚えた。
高校3年生になった5月、私の曽祖父が亡くなった。けれど、彼と私は血のつながりがなかった。その事を初めて聞かされた時、「本当の家族じゃないんだ」と一瞬でも考えてしまった。でも私にとって彼は、まぎれもなく「家族」だった。いつもお菓子をくれて、私が話すと笑顔を見せてくれる。血がつながっていなくても、そこには確かに温かい愛情と家族としてのつながりがあった。
そのニュースと曽祖父の死が重なり、「本当の家族って何だろう」と考えるようになった。この出来事から、里親制度について調べた。さまざまな事情で親と暮らせなくなった子どもを、里親が一時的または長期的に家庭で育てる制度ということが分かった。血のつながりはなくても、子どもに愛情や安定した生活を提供する大切な役割を担っている。しかし、法的な親権などの問題もあり、子どもの気持ちを尊重しないまま、急に引き離されてしまうこともあるという。
もちろん、血のつながりには意味がある。しかし、それだけが家族の条件ではないと私は思う。共に過ごした時間、交わした言葉、積み重ねた思い出、そういったものが「家族」をつくる。「家族」とは、心でつながるものだと私は思う。
社会がもっとそれぞれの家族の形を認められるようになってほしい。血でつながるだけでなく、心でつながれている形もあるから。そんな温かいつながりが、当たり前に大切にされる社会になってほしいと願っている。
編集局長賞
手話で身に付いたこと
宮城県石巻市大谷地小6年 高橋遼真(たかはし・はるま)さん
ぼくは、夏休みにお母さんと親子手話体験会に参加をして、手話に興味を持ちました。
今まで幼稚園の時に手話ソングをしたことがあったけど、手の動きだけ覚えたという記憶しかないので、手を使って人に言葉を伝えるというのは、どのようにしたら良いのか詳しく調べてみようと思いました。
手話は、耳が聞こえない人、聞こえにくい人が、手や指、体の動き、顔の表情を使って気持ちや考えを伝える大切な言葉(言語)です。手話を話せる人は、日本で何人いるのか、割合を調べてみました。日本では1500人に1人の割合だそうです。
体験会には、耳が聞こえない人に、手の動きだけで言葉を伝えることが、ぼくにもできるのだろうかという思いのまま参加しました。最初に指文字で自分の名前やあいさつ、曜日、季節などさまざまな手話を講師の先生に教えてもらいました。とても難しくて、指の角度や見せ方で、相手に間違った言葉で伝わってしまうことがあるので、一字一字覚えるのがとても大変でした。一度に全部は覚えられませんでしたが、体験会の終わりにはみんなの前で自分の名前を手話で発表して、とても緊張したけど「名前伝わったよ。覚えが早いね」とほめられてうれしかったです。
耳が聞こえない人や聞こえにくい人は、見た目だけでは分からないこともあると思うので、ほかにもぼくにできることはないかと考え、手話以外のコミュニケーション方法も調べてみました。文字を書いて言葉を伝える筆談や、ゆっくりとした口の動きから話し言葉を理解する口話もあると分かりました。コンビニエンスストアのレジでも指さしシートがあるのを見たことがあるので、とても良い取り組みだと思いました。
ぼくはこれから耳の聞こえない人や聞こえにくい人と出会ったときに、自分から声をかけられるように、もっとたくさん手話を覚えて友達にも教えてあげたいと思います。
編集局長賞
父と共に受け継ぐ火伏せの虎舞
宮城県加美町中新田中3年 阿部(あべ)あかりさん
私が住む加美町中新田には、室町時代から続く「火伏せの虎舞」があります。春風の影響で大火事が頻発していた中新田の人々は、「雲は龍に従い、風は虎に従う」という中国の故事にならい、虎の威を借りて風を鎮めようと祈願したことが虎舞の始まりです。そして、この虎舞の伝統を支えているのが、地元の消防団と私達中学生です。毎年、4月29日のまつりでは、色鮮やかな山車と虎が、おはやしに合わせて商店街や各家庭の玄関先などを練り歩き、防災と家内安全を祈願します。
私の父は、この虎舞を受け継いでいる消防団員で、太鼓を担当しています。その父から中学1年の春、手作りの太鼓のバチを渡されました。「今年の春は、一緒に虎舞をするぞ」。幼い頃から虎舞に憧れてきた私にとって、父と共に町中を練り歩くまつりは、最高に楽しい時間です。
そして、5月、私はこの虎舞を東京日本橋にある宮城ふるさとプラザで披露しました。きっかけは、経営難を理由に閉店が決まった宮城ふるさとプラザが、閉店を惜しむ声、継続を願う声によって日本橋に移転し、再出発することを伝える新聞記事を読んだからです。
私は、ふるさとに思いを寄せる人たちが震災の復興支援のために力を結集した場所、コロナで移動が制限された日々の寂しさを支えた場所を失ってはいけないと感じました。そして、私達中学生が消防団と協力して大切に受け継いでいる虎舞を宮城ふるさとプラザで披露し、東京の皆さんに元気や笑顔を届けたいという気持ちになりました。
私は、父手作りのバチを旅行バッグに大切に詰め、いざ日本の首都東京に向かいます。「ドンドンカッカードンカッカー火伏せの虎舞今来たぞ。よいとこよいとこよいとこさ」。日本橋の青空のもと、おはやしに合わせて勇敢に舞う虎舞を誇らしく思いました。たくさんの人々の心をつなぐ火伏せの虎舞を、これからも父と共に大切に受け継いでいきます。
編集局長賞
痩せ至上主義の世の中で
宮城県泉高2年 小山彩佳(おやま・あやか)さん
「痩せていることが美の基準」とされる時代に終止符を打たなければならない。私がそう感じたのは、小学6年生の女児の約半数が「痩せたい」と感じているというニュースを見たときだった。中学3年生の春、私は拒食症になった。
きっかけは、自分の足の太さが気になったことだった。運動不足の解消も兼ねて、筋トレを始めた。徐々に結果は出てきたが、もっと早く痩せたい。そう思い、食事制限も始めた。お菓子や揚げ物を控えると体重はすぐに減った。だが、「もっと細くなりたい」という気持ちは止まらず、私はカロリー計算をし、全ての食材を計量するようになった。
当然、体重は減り続ける。しかし、私はとっくに心身ともに限界を迎えていた。完全にダイエットに頭を支配され、毎日食事と運動のことしか考えられなくなったのだ。やがて、体重が35キロを下回る頃には、私は手のひらサイズのおにぎり一つすら怖くて食べられなくなっていた。そんな私を見かねた母に連れられて訪れたのは、心療内科だった。先生に「ここでは対応できない」と言われ、私はすぐに大学病院に転院することになった。
その後、1年にわたる治療と、家族や周りの人々の支援もあって、私は少しずつ回復した。過食期などのつらい時期も乗り越え、今ではおいしくご飯を食べられている。普通に食事ができることは何よりも幸せだ。だが、あの頃の私は、友達や家族と過ごす時間など大切なものをたくさん失った。
拒食症は、骨粗しょう症のリスクを高める。しかし、何よりも恐ろしいのは、体形にとらわれ過ぎてかけがえのない時間を失ってしまうことだ。SNSは、「痩せこそ正義」とあおるような画像であふれかえっている。憧れる気持ちも痛いほど分かるが、健康を犠牲にするダイエットは取り返しのつかない事態を招くこともある。私は、体形に悩む全ての人に、今の価値観をもう一度見直してほしいと思う。
教育・防災連携室長賞
地域の力
尚絅学院高2年 永井美和(ながい・みわ)さん
災害が起きた際、人と人とのつながりは命を救う力となる。1人ではできない事も協力し合えばこそ可能になるからだ。
東日本大震災の時、私はまだ3歳だった。発生時、私は自宅のアパートで兄と2人、スーパーから帰ってくる母を待っていた。そんな中、起きた大きな地震。兄も私もパニックになり、床に身を潜めて泣いて地震が終わるのをただ待っていた。地震が終わると兄はすぐに家のドアを開けた。
けれどその先にどうしたらよいか分からず立ちすくむ兄と私に、これから避難所に向かう同じアパートの老夫婦が私たちの手を取り「一緒に逃げましょう。妹さんはかかえて逃げましょう」と言い、私たちを避難所まで行かせてくれて母と再会するまで面倒もみてくれた。
私たちを助けてくれた方は日頃から私の家族とよく話し、地震が起き、早く避難しなくてはいけない時に、私たち兄妹が目に浮かんだそうだ。母がスーパーに行く前に会い、家には子どもたちしかいないことを思いだし、助けなくてはと思い、わざわざ上の階である私たちの部屋まで来てくれた。私はこの老夫婦に心から感謝している。私が今こうして文を書けているのはあの時、手を取り一緒に逃げてくれたからだ。
この体験から、地域の助け合いが災害時にどれほど心強いものかを痛感した。防災の知識や備蓄は重要だが、それだけでは命を守れない。日常からの交流があるからこそ、いざというときに素早い行動と支援が可能になるのである。
現代では地域のつながりが希薄化しているが、災害大国日本においては、隣人との関係を築く努力が不可欠である。地域コミュニティーの力こそが、未来の命を守る最大の防波堤である。
優秀賞/佳作/優秀学校賞/学校賞 (敬称略)
優秀賞
大友実紗
宮城教育大付属小6年
優秀賞
阿部衣吹
宮城県松島町松島二小6年
優秀賞
及川花奏
宮城県登米市東和小6年
優秀賞
猪又陽菜
宮城県登米市東和小6年
優秀賞
猪股美桜
宮城県登米市東和小6年
優秀賞
山村紗良
聖ドミニコ学院小(宮城県)6年
優秀賞
佐々木健
宮城県石巻市大谷地小4年
優秀賞
熊谷理子
石巻市大谷地小5年
優秀賞
加納梨愛
石巻市大谷地小6年
優秀賞
高橋茉衣
石巻市大谷地小6年
優秀賞
伊藤展
宮城県仙台二華中1年
優秀賞
相馬菜花
宮城県栗原市志波姫中3年
優秀賞
大槻莉央
宮城県古川黎明中3年
優秀賞
伊藤百花
宮城県古川黎明中2年
優秀賞
千葉瑞姫
宮城県古川黎明中2年
優秀賞
高橋舞奈
仙台市愛宕中3年
優秀賞
高橋結那
青森市西中3年
優秀賞
篠崎佑朱
青森市西中2年
優秀賞
蝦名美晴
青森市西中1年
優秀賞
土井ひいろ
宮城県東松島市矢本一中1年
優秀賞
本間輝流
山形県鶴岡中央高3年
優秀賞
柏隼捷
尚絅学院高(宮城県)2年
優秀賞
竹中こころ
尚絅学院高(宮城県)2年
優秀賞
竹田治生
尚絅学院高(宮城県)3年
優秀賞
鈴木くるみ
尚絅学院高(宮城県)3年
優秀賞
佐藤はんな
宮城県泉高2年
優秀賞
小林沙恵
宮城県泉高2年
優秀賞
川鍋真由
宮城県小牛田農林高3年
優秀賞
浅倉乃彩
宮城県小牛田農林高3年
優秀賞
小林綾莉
福島県安積高2年
佳作
小野寺風菜
東和小6年
佳作
大森恵奈
宮城学院中2年
佳作
林侑奈
尚絅学院高2年
優秀学校賞
石巻市大谷地小
優秀学校賞
尚絅学院高
優秀学校賞
宮城県泉高
学校賞
東和小
学校賞
宮城学院中
学校賞
宮城県古川黎明中
学校賞
青森西中
講評
体験や感受性 大切に
審査委員長 河北新報社論説委員長 末永 秀明
新聞記事を書く上で三つの要素が求められると、かつて先輩から教わりました。いい情報を取ってくること、その情報を分析して何が最も大事なニュースかを見極めること、そして良い書き手であることです。
これは皆さんにも当てはまります。まず、良いテーマを選ぶことが大切です。そのテーマが自分の生活や将来とどのように関わるかを考えます。最後に、それを分かりやすい言葉で伝えることが求められます。
今回はタイムリーで社会性のある話題をテーマにした作品が数多く寄せられ、とても感心しました。
河北新報社賞の熊谷鈴乃さんは、「500年後には全員が佐藤姓になる」とした東北大教授の試算を取り上げました。自分の名字やルーツはどうなるか-。ユニークな話を「わがこと」として掘り下げ、夫婦同姓・別姓の在り方に一石を投じる展開は秀逸でした。
論説委員長賞の3作品は「水泳授業の廃止」「戦後80年」「社会的養護と家族」という公益に関わる題材を、日常の思いや出来事に触れつつまとめました。いずれも重要な提案や意見があり、共感を呼びました。
自らの体験談は、より説得力が増します。編集局長賞の3点は、手話の体験会や民俗芸能の継承、痩身(そうしん)欲求と拒食症について書かれています。文章全体から、筆者の強い思いや覚悟がしっかり伝わってきました。
教育・防災連携室長賞の作品は、震災避難時に感じた地域とつながる大切さを気負わずに表現しました。
作品を通して若い世代の豊かな発想に接し、幾度も心を打たれました。これからも、その感受性を大切に育んでほしいと思います。
