2011年3月11日、東日本大震災が発生。巨大津波と東京電力福島第1原発事故という未曽有の複合災害は、関連死を含めて全国で約1万9600人の命を奪い、2528人の行方が分かっていない。暮らしと営みが無慈悲に奪われたあの日から、来年3月11日で10年を迎える。
コンクリートの上で跳びはね、スケートボードを素早く1回転させて着地する。住宅のない災害危険区域の中に、スケボーの技を競い合う子どもたちの笑い声が響く。
2020年12月19日大地に深く根を張り、塩害に強いヤブツバキ。東日本大震災で住民が津波から逃げた道に植えられ、あの日の記憶を今に伝える。
2020年12月17日ありがとうの気持ちをビートに乗せ、岩手県大槌町が東日本大震災から復興する姿を発信してきた。
2020年12月16日岩手県宮古市にある共和水産の専務鈴木良太さん(39)はかつて、地元にも水産業にも魅力を感じていなかった。
2020年12月15日「こんな面白い大人に出会ったことがない」 交流があるふたば未来学園高(福島県広野町)の生徒たちから、こう慕われる人がいる。
2020年12月14日悠然と空を見上げるかのように、高さ約6メートルの白鹿の像が立つ。アートや食、音楽の総合祭「リボーンアート・フェスティバル(RAF)」の作品の一つで、石巻市牡鹿半島の荻浜に常設されている「White Deer」。
2020年12月12日東日本大震災から9年9カ月。震災で人口減少と高齢化が加速した被災地で新たなまちづくりが進む。多くの人を呼ぶ仕掛けや地域資源の活用、魅力の発信-。
2020年12月12日東日本大震災の市街地復興は、人口減少の局面で進められた。ゼロからのまちづくりの教訓は何か。
2020年12月20日新市街地の真ん中にある公園の週末はにぎやかだ。ブランコに乗って遊ぶ子どもたち。愛犬と一緒に親子が芝生を駆け回る。
2020年12月20日大胆に住宅を集約したはずの移転先が、出だしから課題に直面している。宮城県山元町が内陸に整備した3カ所の集約先の一つ、JR常磐線坂元駅周辺。
2020年12月19日住居が消えた空き地に雑草が茂る。重機や大型トラックが忙しく動き回る。「これが震災10年を迎える復興の姿なのか」
2020年12月18日高架化された新駅を起点に整然とした街並みが広がる。玄関口にスーパーが建ち、その先に小学校、保育所、中央公園。取り囲むように住宅が軒を連ねる。
2020年12月17日わずか5票差。「正直言って駄目だと思っていた」 東日本大震災後、ゼロからのまちづくりを進めてきた指揮官がかすれた声で薄氷の勝利に触れ、神妙な面持ちで選挙戦を振り返った。
2020年12月15日プレハブの陸前高田市役所4号棟の2階。地権者の承諾が得られるたび、担当課の壁に張られた図面の区画が塗りつぶされていく。
2020年12月13日岩手県の最大被災地で、行政と住民の間に温度差が生じていた。 2011年5月1日、市庁舎が全壊した陸前高田市に復興対策局が発足し、復興計画作りが本格化した。
2020年12月12日岩手県陸前高田市高田地区の津波被災地にできた畑で11月中旬、ツバキの植樹会があった。殺風景な区画整理地に常緑樹が植えられ、市民は紅色の市の花が咲く時季を心待ちにする。
2020年12月11日東日本大震災の津波で沿岸部の市街地は甚大な被害を受けた。多くの自治体が復興計画で目指したのが、コンパクトなまちづくりだ。
2020年12月11日東日本大震災の災害公営住宅に暮らす被災者の健康調査を、宮城県が震災10年となる本年度限りで打ち切ることが分かった。
2020年12月10日地域防災計画や避難所運営マニュアルなどに、LGBTを含む性的少数者への「配慮」を盛り込んでいる自治体は東北6県と全77市の1割に満たないことが、河北新報社の調査で分かった。
2020年12月8日河北新報社が実施した東北の自治体アンケートでは、災害発生時、性の多様性を意識した行政対応が道半ばである実態が明らかになった。
2020年12月8日火災や水害の現場にいち早く駆け付け、地域防災力の要となってきた消防団員の人数が東日本大震災後、大きく落ち込んだまま回復していない。
2020年12月3日「東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の計42市町村の消防団員が、震災後に4000人以上減少したことが河北新報社のまとめで分かった。
2020年12月3日「気仙沼の顔」と呼ばれる市中心地・内湾地区(南町、魚町)の人々が村井嘉浩宮城県知事(60)と交わした復興の約束が、ようやく動きだした。
2020年11月16日仙台空港(宮城県名取、岩沼両市)から、格安航空会社(LCC)ピーチ・アビエーションの桃紫の機体が沖縄に向けて離陸した。「希望に満ちた瞬間だ」。
2020年11月15日「東北の復興の一翼を担いたい」。入学式で誓った医師の卵は5年生になり、来年度には卒業を迎える。2016年、国内で37年ぶりに医学部が設置された東北医科薬科大(仙台市)。
2020年11月14日創造的復興の象徴とうたわれた小さな浜が、理想と現実のはざまで揺れる。東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市桃浦。
2020年11月13日東日本大震災で宮城県の復興の陣頭指揮を執ってきた村井嘉浩知事(60)。「創造的復興」の名の下に、平時であれば困難な巨大プロジェクトを次々に推し進めてきた。
2020年11月11日「過去の教訓」と「次への備え」が命を守った。東日本大震災で津波が襲来した岩手県洋野町。町民1万9271人、誰一人として犠牲にならずに済んだ。
2020年11月14日大洪水から家族や動物を救った旧約聖書の「ノアの箱舟」。安政南海地震(1854年)があった和歌山県で、村人を津波から避難させた「稲むらの火」。
2020年11月13日道路に乗り上げた漁船を見て、佐藤善文さん(86)=東松島市野蒜ケ丘=は強烈な不安に襲われた。「地球の裏側で起きた地震でこんなに大きな津波が来る。もしも近くで地震が起きたら…」
2020年11月12日未曽有と形容された東日本大震災で、「いつか必ず来る」と津波の襲来に備え、大勢の命を救った人がいた。東松島市野蒜地区の高台に私費で避難所を造って住民を守った男性と、津波の犠牲者がゼロだった岩手県洋野町で自主防災組織を率いる男性の思いを追った。
2020年11月11日「秋作野菜の大きなベースとしたい」。設立6年目を迎えた仙台市若林区荒浜の農事組合法人せんだいあらはまは9月、ブロッコリーの生産に乗り出した。
2020年11月6日津波に洗われた仙台市沿岸部のコメ生産者は今も、劣化した作土と格闘する。1982年から宮城野区岡田地区でコメ作りする農事組合法人の新浜協業組合。
2020年11月6日東日本大震災で、仙台市沿岸部の農地が被災して9年半がたった。国営の農地整備事業で田畑は大きくなり、担い手への集約が進んだ。
2020年11月6日2011年3月18日、東日本大震災は発生から1週間を迎えた。午前10時の第20回宮城県災害対策本部会議は、犠牲者に黙とうをささげることから始まった。
2020年11月11日東日本大震災の宮城県災害対策本部会議には副大臣や政務官が常に同席し、政府との橋渡し役を担った。2011年3月14日、午後6時に始まった第13回本部会議。
2020年11月10日「72時間の壁」。災害発生後、丸3日を過ぎると安否不明者の生存率が著しく低下するとされ、人命救助の境界線とも言われる。
2020年11月9日2011年3月13日、東日本大震災3日目。宮城県内は二つの深刻な危機に直面した。燃料と水・食料が圧倒的に足りなかった。仙台港にある東北唯一の製油所が炎上し、多数のタンクローリーが津波で流された。
2020年11月6日「仙台市若林区荒浜で200~300人の遺体」2011年3月11日の深夜、第4回の宮城県災害対策本部会議で県警本部長竹内直人が報告した情報は、衝撃のニュースとして瞬く間に全国を駆け巡った。
2020年11月5日東日本大震災が発生した2011年3月11日の夜は空一面に星があふれていた。大規模停電で街の灯が消えたためだ。宮城県庁は違った。非常用電源で照明が維持され、ひときわ明るかった。
2020年11月4日大型モニターが映し出す港町の惨状に、指揮官が言葉を失った。気仙沼港に押し寄せた大津波が、桟橋をあっさりとのみ込む。宮
2020年11月2日東日本大震災後の10年間で宮城県内でお産を扱う病院などが3割減り、特に仙台医療圏以外は半減したことが分かった。
2020年10月06日東日本大震災後の10年間で3割減った宮城県内の分娩(ぶんべん)施設。安全なお産のために一定の集約化が避けられないとの指摘がある一方、長距離の移動を強いられる妊産婦の負担は少なくない。
2020年10月06日