特集>東日本大震災8年 10代の語り部、古里離れても伝える

 東日本大震災当時、東松島市大曲小4年生だった高橋さつきさん(18)=宮城水産高3年=と、武山ひかるさん(18)=石巻市桜坂高3年=は1日、高校を卒業した。両親と祖父そして生まれるはずだった妹を失った高橋さんと、自宅が全壊した武山さんは、震災の経験を語り継ぐため「TSUNAGU Teenager Tourguide(TTT)」の一員として活動してきた。

 震災から8年目の春。2人は新たな道に進む。

<高橋さん、消えない後悔>

 「あのとき強く引き留めていたら、両親は死ぬことはなかった」。高橋さんの後悔は今も消えない。あの日は学校に両親が迎えに来た。母親はおなかに妹の命を宿していた。4月11日が出産予定日だった。

 「家に戻れなくなっちゃったら大変だから、赤ちゃんの物を取ってくる」
 「行かない方がいいよ! 絶対危ないから」
 「大丈夫」

 両親は大曲浜の自宅に向かってしまった。

 避難してきた曽祖母と体育館にいると、外で誰かが津波が来たから早く逃げろと叫んだ。正門から黒い波がじわじわ入ってくる。曽祖母の手を引き、校舎に逃げた。教室から見た校庭は黒い波が渦巻いていた。屋上に上がると、大曲浜の方角から津波が何波も来ているのが見えた。「両親は大丈夫かな。家なら大丈夫だよな」

 数日後に祖母、叔父と再会したが、両親は帰ってこなかった。ずっと不安だったが、どこかで生きていると信じていた。心細さは友人と遊んでまぎらわせた。

 ある日、祖母らと車で出掛けた。「どこに行くの?」。浮き浮きして聞いた。「お母さん死んじゃったから、お母さんの所に行くよ」。思考が止まった。向かった先は土葬場だった。母親の顔は見なかった。

 夏。父親と祖父が遺体安置所で見つかった。「おじいさんとお父さん、いたよ」「そうなんだ…」。もう何も考えられなかった。

<武山さん、避難所を転々>

 武山さんもあの日、高橋さんと同じ教室にいた。母親らと鷹来の森運動公園に逃げたが、夜になっても津波の情報が分からず、大曲小に近い自宅に車で戻ろうとした。周囲は真っ暗で、津波が来ていたことは分からなかった。車ごと泥水に突っ込み、一瞬身動きが取れなくなったが、車のアクセルを踏んで抜け出した。その日は車で夜を明かした。

 その後は避難所を転々とした。赤ちゃんの泣き声がうるさいと怒る人や、けんかをする大人が怖かった。

 学校再開後も、友人と震災の話をしないことは暗黙の了解だった。

<被災状況や体験、語り継ぐ>

 高橋さんと武山さんは、小学3年から中学1年まで同じクラスだった。震災後は、同じ矢本運動公園仮設住宅に住んだ。

 2人が入った矢本二中は、防災の授業があった。避難所の運営方法などを学び、自分に何ができるか考えた。授業を機に高橋さんの心境が変わり、3年の春、ボランティアに初めて震災の話をした。高橋さんに誘われた武山さんも震災の経験を伝えようと決め、高校1年の夏に活動を始めた。

 2人は別の高校だったが、よく連絡を取り合った。互いに「ひっか(ひかる)だけはけんかしたことがない。本音で話せる。家族みたいなかけがえのない友人」「さつきは私の世界を広げてくれた親友。さつきがいたから私はここまでこられた」と信頼し合う。

 震災から8年。2人はTTTで活動を続けてきた。高橋さんは「生まれてこなかった妹が8歳になっていると思うと…長いのかな」と感じる。武山さんは「心の復興はまだ時間がかかる」と話す。

 今春、高橋さんは製菓専門学校、武山さんは福祉系の大学と、2人は関東地方に行く。「新たな一歩を踏み出す機会。今後は関東圏で震災の経験を伝える」と声をそろえる。

 今、高橋さんは両親に伝えたい。「そっちで妹を大事にしてあげて。私、長生きする。おばあちゃんになってそっちに行くから。頑張って生きます」


2019年03月11日月曜日


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