特集>東日本大震災8年 悲しみ乗り越え前に あの日から、私の歩み

 東日本大震災の発生から8年。経験したことのない自然の脅威を、さまざまな状況下で目の当たりにした人たち。かけがえのない肉親や知人を亡くすなど悲しみに暮れる中、前を向いて生きる人たちや被災者の支援団体関係者に「あの日からの歩みと今後」について聞いた。

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■石巻高2年生徒会長・西條未来さん(17)=石巻市北上町=
 震災当時は石巻市相川小の3年生で、授業中でした。屋上に避難する動きでしたが、校長先生の一声で裏山へと避難しました。
 家業はワカメ養殖やアワビ漁を営んでいます。石巻市北上町内の高台に引っ越していた自宅は無事でしたが、ワカメの工場などが被害を受けました。
 4年生からは吉浜小の児童とともに橋浦小の校舎を間借り。教員や児童が増えた中には友人を亡くした同級生もいて、さまざまな人と関わりを持ちました。
 生徒会長として、石巻高を変えられる立場になりました。復興には周りの動きを待つだけでなく、自ら動く必要があると思います。地元石巻のため、主体的に動ける生徒像を目指し、取り組んでいきます。


■石巻海上保安署(海上保安官)佐藤拓実さん(23)=東松島市大塩=
 震災直後、通っていた中学が避難所になっていたので、そこで運営のボランティアをしました。
 それまで消防士になりたいと思っていましたが、震災を機に海で仕事をする海上保安官を志すようになりました。
 八戸海上保安部で2年間過ごし、石巻に赴任して1年半になります。地元で働くことのうれしさと、海の安全を守る使命感を持って働いています。
 海で亡くなる人が一人でも減るように、現在は救命胴衣の着用推進や海中転落時の対処法の普及に力を入れています。
 漁業者と話をすると、震災のダメージはいまだ癒えていないと感じることがあります。そういった人たちに寄り添える保安官になりたいです。


■石巻復興きずな新聞舎代表兼編集長・岩元暁子さん(36)=石巻市駅前北通り1丁目=
 石巻市で情報紙「石巻復興きずな新聞」(A4判4ページ)を月1回、5000部発行しています。復興公営住宅で見守り活動が特に必要と判断したエリアを重点的に手渡しで配り、住民の心のケアやつながりづくりに努めています。
 前身は震災の半年後に創刊された「仮設きずな新聞」。ピースボート災害ボランティアセンターが発行し、センター職員だった私が編集長でした。2016年3月に終刊しましたが、「仮設に最後まで寄り添う新聞でありたい」とセンターを退職。インターネットで寄付を募り、同年6月に再開させました。
 最近では公営住宅の課題がより深刻です。仮設がなくなっても移行期に当たる1年間は活動を続けたい。


■東松島市職員・菅原満さん(45)=東松島市大塩=
 東松島市大曲浜にあった実家は津波で流失し、住民の避難誘導に当たった父=当時(71)=が犠牲になりました。
 当時は健康推進課に勤務し、避難者をケアする保健師を事務方で支えていましたが、もっと多くの命を救えたのではないかという罪悪感が拭えず、仕事と家庭、大曲浜獅子舞保存会活動の三つに全力で走り続けてきた8年でした。
 相談役を務める保存会は、仲間が犠牲になり、太鼓や衣装は全て流失しましたが、全国からの支援を受け復活できました。犠牲者の供養と恩返しの気持ちを込めて披露しています。
 獅子舞を見て笑顔になり、涙する地域の人々を見ると、命ある限りは続けていく覚悟です。


■女川町地域医療センター老人保健施設看護師・横井智美さん(57)=女川町女川浜=
 震災時は、今の施設の前身となる介護老人保健施設に勤務していました。当時、施設にいた入所者と利用者約50人は全員無事でした。1カ月ほどは施設に泊まり続けました。
 あれから8年。小学4年だった三男は3月に高校を卒業しました。子どもの成長を考えると時の流れの早さを実感しますね。
 津波で町の海岸近くにあった自宅は流失しました。当初は3、4年ほどで自宅を再建できると思いましたが、平地が少ない女川町にとって、まちづくりに時間がかかるのは仕方がないですね。今は家族3人で町内の災害公営住宅に暮らしています。
 女川は、高齢者にも若者にも優しい町であってほしいと願っています。


■精肉店経営・亀山真一さん(63)=石巻市不動町1丁目=
 あっという間の8年だったと感じています。震災では石巻市中央2丁目の精肉店に2メートルの津波が押し寄せ、数百キロの肉や機材などが一瞬のうちに駄目になりました。あまりの惨状に店もこれで終わりだなとさえ、思いました。
 営業再開に踏み切ったのは、商店仲間の励ましや常連客からの温かい後押しがあったからこそ。店頭販売を開始したのは震災から約8カ月後の11月17日。涙を浮かべて再開を喜んでくれた常連客の姿をいまだに忘れることはありません。
 震災前の売り上げには回復していませんが、喜んでもらえるのが何よりの励みになります。これまで以上に地元に親しまれ、愛される精肉店として頑張っていきたいと思っています。


■石巻観光ボランティア協会長・斎藤敏子さん(77)=石巻市開北3丁目=
 被災者の一人とし、震災の記憶を正確に伝えたい一心でした。石巻観光ボランティア協会長とし、23人の会員と全国から来石する人たちの案内を続けてきました。その数は、12万4000人を超えました。
 会員の安否確認を兼ねた震災当時の会合で、日和山が見学者の供えた花、線香などで散乱する状況を知り、清掃も兼ね、被災状況の説明や案内を始めました。
 私たちの活動は語り部ではなく、『大震災学びの案内』です。修学旅行や社員研修で訪れる団体もあり、防災、減災の輪が広がればと願っています。
 被災した街並みが年々変化しています。当時の映像を用いたり、実際に避難体験をしたりして、命を守る大切さを訴えていきたい。


■会社役員・佐藤善文さん(84)=東松島市野蒜=
 地域の憩いの場にしたいとの思いで、自宅近くの岩山に整備した避難所が、震災時に役に立ち、よかったと思っています。「佐藤山」と呼んでもらえるようになり、うれしい限りです。
 近年、県内外から行政機関の視察や子どもたちが体験学習に訪れる機会が増えていることは、3.11の風化防止につながるので、これからも受け入れ、高台避難などを呼び掛けたい。
 佐藤山は、絵本「おさとうやま」になり、英語やロシア語などにも翻訳されているので、絵本を通して世界各国にも避難の大切さなどを発信していきたい。そのためにも、今後も草刈りや植樹などに取り組み「命を守る山」として、親しんでもらえる場所にしていきたいと考えています。


2019年03月11日月曜日


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