記者コラム・水紋>忘れた頃(佐藤紀生)

 気仙沼から通勤して2年目の春を迎えた。片道1時間15分ほど。2月、国が東日本大震災復興の柱に位置づけた三陸沿岸道仙台−気仙沼間がほぼ全通、1年目より15分縮まった。気仙沼中央−石巻河南インターチェンジ(IC)間が1時間を切る。早い。十数年前まで国道45号で2時間弱必要だった。感慨深い。

 「時短」は還暦を過ぎ経年劣化が進む腰にもありがたい。15万キロ走った愛車の足回りが、へたってきたのでなおさらだ。大幅短縮は、津波で寸断した国道復旧工事が続く気仙沼市小泉、南三陸町歌津両地区「くねくねアップダウン・ジェットコースター区間」(前五輪相にはぜひ体験してほしい)を通らずに済むようになったのも一因だ。

 三陸道は大半、海岸線を離れ、山手を走る。復興の恩恵を享受する一方、復興半ばの現場を車窓から見る機会は減った。復興が日常の中で当たり前となり、心に刻んだ教訓が風化にさらされているのも感じる。

 立派な道路、堅固な防潮堤ができようと、津波からはなるべく「早く」「遠く」「高く」逃げる一手しかない。備えを含め、教訓はささいな心構えの積み重ねだ。

 自問する。外出時、バッグに飲料水は入っているか。想像する。老若男女でいっぱいのエレベーター。次の瞬間、閉じ込められるわが身を想定している人はいるか。

 災害は無くせないが「忘れた頃」は無くせる。風化を復興の副産物にしては失言大臣を笑えない。


2019年04月26日金曜日


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