バチカンへ歌集の英訳送付 佐藤成晃さん「地津震波」、修飾より事実詠む

バチカンのローマ法王庁に送られた「地津震波」。左が英訳版
震災と短歌について語る佐藤さん

 「石巻かほく」の日曜文化面に掲載している短歌欄の選者・佐藤成晃さん(82)の歌集「地津震波(じつしんぱ)」が、バチカンのローマ法王庁に届けられた。11月に来日するローマ法王フランシスコの東日本大震災被災地への訪問を願い、東京の出版社「ヒロエンタープライズ」が英訳して送付した。

 歌集は震災の津波で女川町の自宅が流失した佐藤さんが、被災から間もない日々をつづった作品。「日本の短歌の一冊に過ぎなかった歌集が突然世界の教養人、文化人とつながった。震災が世界の歴史の1項目になってほしい」と話す。

 震災と短歌について佐藤さんが語った。

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 バチカンからは歌集を受領したことと、感謝の言葉をつづった手紙を頂きました。東日本大震災で起きた地震と津波の記録が国内にとどまらず、信仰や宗教を超え世界に広がっていく気がしています。法王来日の際はぜひ、東北の被災3県に足を運んでほしいです。

 歌集の題名は当初「地震津波」でした。そんなきれいごとではないと思い、ぐしゃぐしゃの状態を表そうと「地震」「津波」の文字を1字置きに組み替えました。

 震災を短歌にするとき、文学的な表現にするか、事実に近づけるか悩みました。長年短歌をやっていると、完成度を高くしようと文学的な修飾を駆使します。今回の地震と津波を経験し、できるだけ文学的にせず、事実に即して詠む方に気持ちが傾きました。

 言葉の持つ両面も感じています。例えば「リアス海岸」。風光明媚(めいび)を感じさせる言葉ですが、リアス海岸は津波の威力を増大させました。こんな残酷な言葉だったのかと思いました。

   *

 震災時、女川町の石浜に住んでいました。ここまで津波が来たら女川は全滅と思っていましたが、現実はその通りになりました。

 地震の揺れが収まり、書斎や仏壇を片付けていたら「逃げろ」という声が聞こえてきました。逃げていると片足のゴム長靴に海水が入りました。10秒差で生き延びたのです。

 血縁者27人が亡くなりました。妻の姉一家は3人が犠牲になりました。いとこの家で40日間の共同生活を送り、震災後の3日目あたりから姉一家を捜しました。がれきに埋まった車を何台ものぞき込みました。いてほしいと思う気持ちと、いてほしくないという思いが交錯しました。

 <生き残りし者の務めの人探し瓦礫(がれき)の下に今日は十七体>

 この短歌を詠むとき、何百人も亡くなった女川で数字をどう表現するか悩みました。3、4人ではあまりに少ないのです。事実に近づけようと試みながら、事実と感じ取ってほしい数字を模索しました。作品は新聞記事の正確さとは異なる面で「真実」らしさを求めている面があるのです。

 石浜では札幌から来た自衛隊員が捜索に当たりました。遺体がある場所4カ所を案内し収容してもらいました。感謝は尽きません。

   *

 震災前から石巻中央公民館の「石巻つくも大学」の講師をしていました。震災から3カ月後、受講生に往復はがきを送り、勉強会をやろうかと尋ねました。10月に勉強会を開くと、20人近く、全員が参加したのです。集まるとおしゃべりに花が咲きました。みんないっぱいたまっていたのでしょう。精神的な回復のきっかけになったかもしれません。

 震災前、『縄文の雨』『壮年の尾根』という二つの歌集を編みました。「起承転結」の意味で、生涯で4冊くらいの歌集を出せればいいなと考えていました。

 第3歌集として「地津震波」を送り出すことになりました。「地津震波」は起承転結の「転」に当たります。この「転」がとても重いものになりました。


<歌集より(抜粋)>

 歌詠むにうつつ抜かすと言はれても詠むべし三十一字の現実

 睡眠剤飲んで四時間眠らせた体にしみる今朝の味噌汁

 遺体写真二百枚見て水を飲む喉音たてずにただゆつくりと

 攫(さら)われし通帳証書免許証再発行されぬ 命無きものは

 グーグルにさらされてゐる家跡にコスモス二合の種撒き帰る

 ボランティアのうどんを食ひし 証(しるし)とぞ手の甲に残る赤き油性ペン(マジック)


2019年05月18日土曜日


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