復興再興

あの日から

復興の歩み

再びにぎわう街へ 南気仙沼の区画整理が完了 宮城・気仙沼

土地区画整理の工事が完了した南気仙沼地区。空き区画が目立つ
再建した店舗の前に立つ裕隆さん。南気仙沼地区で新たな歩みを進めている

 東日本大震災の津波で被災し148人が犠牲になった宮城県気仙沼市南気仙沼地区で、市が整備してきた土地区画整理事業の工事が完了した。26日、地区内で最後の工事となった「大川公園」で竣工(しゅんこう)式があった。
 南気仙沼地区の工事は、市が事業委託した都市再生機構(UR)が2013年7月に着工。32.5ヘクタールを、海抜2.2〜5.5メートルにかさ上げし造成した。
 市土地区画整理室によると、当初は18年3月の工事完了を目指したが、地権者との調整や、旧気仙沼大橋を撤去し新橋を架設する工事が難航。今年6月に完成がずれ込み、整備費は当初の3倍の約306億円になった。
 全503区画。14年10月の災害公営住宅2カ所の用地を皮切りに、今年3月までに順次引き渡しを完了した。約6割の区画で用途が決まっていない。
 市は魚町・南町地区(11.3ヘクタール)、松崎片浜地区(4.8ヘクタール)で土地区画整理事業を進めており、21年3月までの工事完了を目指す。
 竣工式には、市関係者や地元住民ら約120人が出席。記念プレートの除幕や気仙沼中吹奏楽部による演奏で工事完了を祝った。
 菅原茂市長は「長い時間がかかり、地区に戻りたい住民の気持ちを考えるとつらかった。一日も早く多くの建物が立ち、人が行き来する街にしていきたい」と話した。

◎地域の恩味で報いる 菓子店5代目小山さん、現地で再起

 「コヤマ菓子店」は、3代目から半世紀以上、南気仙沼地区で親しまれてきた。津波で店舗が流失し昨年11月、5代目の小山裕隆さん(42)が約8年半ぶりにほぼ元の場所での営業を再開した。生まれ育った場所に戻り「この店で地域に恩返ししたい」と意気込む。
 裕隆さんが現地再建を決めたのは、震災7年後の2018年春。現地以外も視野に再建を目指してきたが、なかなか条件が折り合わなかった。11年8月から昨年まで、別地区でテナント営業を余儀なくされた。
 13年1月、店の屋台骨だった父隆市さん=当時(61)=が胃がんのため死去した。裕隆さんが店を引き継ぐと、経営はたちまち赤字に陥った。「当時は菓子作りの技術も経営手腕も未熟だった」と振り返る。
 和菓子の表面がざらつき、うまく膨らまない。味も違う。隆市さんのレシピ通り作っているのに−。
 苦境を救ってくれたのは、隆市さんと懇意だった市内の同業者だった。裕隆さんが調理の腕を磨けるよう、閉店後の工場を貸してくれた。レシピにはない、細かな知識も教えてくれた。味が良くなると客足が戻り、経営は軌道に乗った。
 テナント時代「おじいちゃんにお世話になった」と、来客用駐車場に使う土地を貸してくれる人もいた。以前の常連客は、店が「地元」から離れても足を運んでくれた。
 「ひもじい思いをせず済んだのは、先代の努力のおかげ」。再建までの歩みの中で、南気仙沼で店が代々、人々と育んできた絆の深さが身に染みた。
 今は来店客の会話に手応えを感じる。「生きてたんだ」「久しぶり」。南気仙沼を離れた人が、店舗で偶然再会を果たすことも。裕隆さんの顔も自然とほころぶ。
 区画には空きが目立つ。水産加工場が集積し、JR南気仙沼駅を中心にしたかつてのにぎわいには程遠い。それでも裕隆さんは、再びこの地に根を張る覚悟を固めている。
 「東北を代表するお菓子を作る。そしてまたここを人が集まる場所にする」


2020年09月27日日曜日


先頭に戻る