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3.11 宮城県災対本部ドキュメント(7)完 復興へ正念場これから

主要道路のがれき撤去が始まり、県土の再建に向けて動きだした=2011年3月28日、石巻市湊須賀松の県道

 2011年3月18日、東日本大震災は発生から1週間を迎えた。午前10時の第20回宮城県災害対策本部会議は、犠牲者に黙とうをささげることから始まった。
 警察庁の発表で県内の死者は4000人、行方不明者は2000人を超えていた。避難所に身を寄せる県民は約21万人に及んだ。

 冒頭、本部長の知事村井嘉浩は「今日からは行方不明者の捜索を継続しつつも、被災者の生活支援に重点を移す」と宣言した。
 課題は山積み。中でも避難所の環境改善は急務だった。着の身着のまま高台へ逃れ、そのまま避難所になった場所が多数あった。
 「避難所はかなり劣悪で分散している。別の場所に集団で避難してもらうことを考えたい」。村井は対策チームの設置を表明し、メンバーを個別に指名した。
 全国の知事が続々と村井を訪ね、避難者の受け入れを申し出ていた。被災地では下旬にかけ、2次避難の説明会が始まった。古里を離れるのか、とどまるのか。重い選択を迫られた。
 20日夕、うれしいニュースが飛び込んできた。石巻市で80歳の女性と16歳の孫の少年が、がれきの中から9日ぶりに救出された。
 午後6時に始まった第25回本部会議は出席者の表情が明るかった。震災発生以来、緊迫していた空気が和んだ。「皆さんの涙ぐましい努力が命を救うことになった」。村井は感謝した。
 被災者の2次避難と並行し、プレハブ仮設住宅の整備が始動した。土木部長橋本潔は20日午前10時の第24回本部会議で「津波で流失した住宅数の把握が困難で、仮設住宅の必要数の判断が難しい」と吐露。当面は1万戸の建設を業界団体に要請すると説明した。
 村井は23日午前10時の第30回本部会議で、第1次として1000戸程度の着工が決まったと報告。「必要戸数を用意するには相当の時間を要する。だが、必ず準備する」と力を込めた。

 膨大ながれきの撤去も始まった。28日午前10時の第35回本部会議で、村井は総量が約1800万トンに及ぶと公表した。県内で排出される一般廃棄物の23年分に相当する。「復旧、復興のためには早期処理が最重要だ」と村井。1年以内に現場から撤去し、3年以内に処理する目標を掲げた。
 東北自動車道が24日に全面通行可能となり、東北新幹線や仙台空港も4月中の再開にめどが立った。少しずつだが、被災地が県土の再建に向けて動きだした。
 震災1カ月となった4月11日の第51回本部会議。政府・現地対策本部の国土交通政務官市村浩一郎の言葉に一同がうなずいた。
 「おそらく、これからが本当の正念場なのだろう」
 激動の1カ月。それは復興への長い道のりの入り口に過ぎなかった。
(敬称略、肩書は当時)(報道部・長谷美龍蔵)


2020年11月11日水曜日


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