(新)指さし会話シート
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 第97回むすび塾での聴覚障害者や支援者の意見を基にリニューアルしました。自由にダウンロードしてお使いください。

指さし会話シート

プロローグ/いのちと地域を守る

更地が広がる宮城県女川町の中心部に、バスが走る。東日本大震災から3年目を迎え、暮らしを取り戻す努力が続く。復興の歩みを止めないためにも、突然襲ってくる地震、津波への備えをあらためて考える時期に来ている=2012年12月24日

◎伝え、備え 報いる 犠牲繰り返さない

 記録する。伝える。備える。東日本大震災で直面した一人一人の生と死を胸に刻み、教訓をあしたの災害に生かす。
 宮城県石巻市の市雄勝病院は、太平洋に続く入り江にある。患者のほとんどが地元のお年寄りという小さな公立病院だった。
 2011年3月11日、病院は高さ10メートルの屋上を超える津波に襲われた。入院患者40人全員と、病院にいた職員30人のうち24人が犠牲になった。
 当時、病院の事務職員だった遠藤祥克さん(47)は、患者1人を同僚と屋上に運び上げた後、津波に巻き込まれた。
 「多くの人が亡くなり、自分は助かった。『何で見捨てたんだ』と言われるんじゃないかと思うと、苦しくなる」
 現在の職場で取材に応じた。患者や同僚の言葉、なすすべもなく水にのまれた瞬間。つらい記憶をたどり、病院内の様子を言葉にした。

 福島県相馬市尾浜で民宿のおかみだった五十嵐ひで子さん(64)は避難が遅れ、民宿の前で津波にのまれた。自分は助かったが、一緒にいた夫、叔父は亡くなった。喪失感と恐怖にさいなまれた。
 昨年9月、知人から語り部に誘われた。体験と避難の大切さを話せば、犠牲者に報いることができる。立ち直るきっかけにもしたかった。
 亡き家族を思い、言葉に詰まるときがある。悲しみは深いが「私の体験を、自分に置き換えて考えてほしい」と願う。

 宮城県山元町花釜地区は、大津波で145人が犠牲になった。現在、約250世帯が暮らす。お年寄りの世帯が目立つ。
 菊地慎一郎さん(65)は、復興ボランティア組織の一員だ。昨年12月7日、宮城県沿岸部に津波警報が出た。近所のお年寄りを妻の車で避難させ、自分も車で高台に向かった。延々と連なるブレーキランプを見て、自然災害には終わりがないと気付かされた。
 「今、大きな被害が出たら復興どころではなくなる」。ことし、お年寄りの支援や車利用など、避難ルールづくりに乗り出す。

◎「わがこと」として

 東日本大震災の死者・行方不明者は1万8591人。2303人の震災関連死を含めると2万人を超える。亡くなった人の無念、家族を失った人の苦悩をくみ取る。犠牲者を出さない方法を考え、発信する。それは被災地に生きる私たち、一人一人の使命なのではないだろうか。
 河北新報社は、震災から3年目のことしを「防災元年」と位置付け、「いのちと地域を守る」キャンペーンを展開する。震災の教訓を探る連載「わがこと」と、住民に備えを促す巡回ワークショップ「むすび塾」が柱。多くの犠牲を出した痛みを読者と共にしながら防災、減災を考え直す。

 「わがこと」は3日から始める。備えの意識は、災害をひとごとではなく「わがこと」として捉えることで養われる。自然の猛威と人々の行動を知るため、被災現場を訪ね、証言を記録する。
 昨年5月から9回を数える「むすび塾」は引き続き、住民と一緒に地震、津波対策を考える。
 詳報を「防災・減災のページ」に掲載し、避難の手法などを示しながら、行動を後押しする。
 南海トラフの巨大地震による死者は、最大32万人と想定される。連載やワークショップを通じ、東北以外の地域にも警鐘を鳴らしたい。

◎家族の無事早く… つくろう避難ルール

 再び大災害が起きたら、わが家は大丈夫? 宮城県岩沼市の佐藤清美さん(40)は「あの日」のことを思い起こす。一時、家族が離れ離れになり、安否を確かめるまで不安だった。河北新報社が主催する防災巡回ワークショップ「むすび塾」は昨年12月27日、番外編として佐藤さん宅を訪ねた。木村拓郎減災・復興支援機構理事長を交えた家族会議で確かめたのは、集合場所、連絡先を決めて一人一人が速やかに行動する避難ルールだ。

 清美さんは玉浦小6年の長男龍君(12)、5年の長女青空(せいら)さん(11)、6年前に亡くなった夫の父房男さん(69)、母ひさよさん(63)、義理の弟(38)の6人暮らし。
 海から約2キロ離れた自宅は震災の津波を免れたが、周辺は1メートルほど浸水した。
 清美さんは日中、同県名取市内のコンビニ店に勤め、ひさよさんも仕事を持つ。「子どもの登下校中や、自宅に子どもとおじいちゃんしかいない時が心配だ」と清美さん。居間で地図を広げた。
 昨年12月7日夕の余震と津波警報で、清美さんの不安は増した。「職場を車で出た後で地震が起こり、裏道も渋滞。電話やメールも通じなかった」
 ひさよさんは孫2人、夫と自宅にいた。「(清美さんを)置いて避難するわけにいかず、おろおろした」と振り返る。清美さんが帰宅した時、津波の到達予想時間は過ぎていた。

 木村理事長は「津波の時は、家族ばらばらでもすぐ内陸部に避難し、その後、決めておいた場所で合流すればいい」と助言し、持参したシート「みんなの避難ルール」の活用を提案した。
 家族は合流地点を岩沼市民会館と書き込んだ。「3.11」が起きた日、清美さんと子どもたちが、祖父母と翌日に再会するまで一泊した場所だ。
 非常時の連絡先には、清美さんやひさよさんの携帯電話の番号を記した。つながりにくい場合を想定し、木村さんは遠くの親戚を中継点に連絡を取る方法を勧める。

 子どもたちは震災後、玉浦小まで約3キロの通学路を自転車で集団登校している。「避難の時は低学年の子を誘導したい」と龍君。避難場所にスーパーが挙がると、青空さんは「上から物が落ちてくるから危ない」と話した。真剣に話す2人の姿に、清美さんは震災後の成長を感じ取る。
 「川の水が引かなければ津波は来ない。じいちゃんは家にいる」と房男さん。「違う場合もあるよ」という家族とのやりとりの後、清美さんは子どもたちに語り掛けた。
 「おじいちゃん、おばあちゃんを守るのは、あなたたち。ちゃんと『すぐ避難しよう』って言うんだよ」。家族の避難ルールが一つ、加わった。

[英訳] https://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20141207_02.html

木村理事長(右から2人目)を交え、家庭の避難ルールを話し合った佐藤さん一家=昨年12月27日、宮城県岩沼市下野郷
 佐藤さん一家に記入してもらったシートです。読者の皆さんのお宅でも家族で一次避難先の候補や集合場所、遠くの親戚をはじめとする非常時の連絡先を相談して書き込んでください。家族の目に付きやすい冷蔵庫に張ったり、コピーして持ち歩いたりするのがお勧めです。

2013年01月01日火曜日


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