第4部・学校(3)連携/「逃げて」住民働き掛け

石巻市雄勝小の校庭から新山神社に駆け上がる子どもたち(イラスト・栗城みちの)
保護者が完成させた「震災対応防災(減災)ファイル」に目を通す子どもたち=3月22日、石巻市湊小

 東日本大震災の発生直後、石巻市雄勝小では、住民が教職員に避難を働き掛け、多くの児童を救った。
 「地球がふっちゃけるような揺れだった」。子ども2人が雄勝小に通っていた佐藤麻紀さん(41)はあの日、勤務先の地元スーパーで地震に遭った。
 子どものころ、雄勝小で見た昭和三陸津波(1933年)の白黒写真の記憶がよみがえった。ぐちゃぐちゃになった校庭に乗り上げた船。校舎は後にかさ上げされたが、海まで約300メートルの立地は変わらない。「津波が来る」と確信した。

 揺れが収まると、車で雄勝小に向かった。着いたのは午後3時前だっただろうか。余震が続く中、校庭の真ん中では高学年を中心に児童40〜50人が肩を寄せ合っていた。
 子ども2人は義父が引き取り、既に帰宅していた。安心すると同時に、残る児童が気になった。雄勝小は津波時の避難先をすぐ裏の山にある新山神社と決めていた。校庭より5メートルは高い場所だ。なぜか動く気配がない。
 「先生、子どもたちどうすんの?」
 「まだ余震が続いているので、校庭に待機させます」
 耳を疑った。「頼むから、子どもたち逃がして。波来っから、子どもたちを神社さ上げらいん、上げてけらいん!」

 同じころ、4年担任の徳水博志さん(59)は、海沿いを通って校庭に駆け付けた母親の怒声を受けた。「雄勝湾の水が引いて、底が見えてましたよ! いつまで校庭にいるんですか!」
 現場にいた教員や住民によると、当初、学校では体育館や2階建ての校舎屋上への避難も検討していたという。徳水さんは「波が来てもせいぜい校舎1階までだろうと、たかをくくってしまった」と振り返る。
 最終的に教員たちが先導し、児童は新山神社に続く石段を駆け上がった。境内には住民や雄勝保育所の幼児、職員らも避難していた。
 間もなく、津波が校庭を襲った。体育館は丸ごと押し流され、校舎は屋上まで波をかぶった。
 波は建物を押しつぶすごう音とともに神社に迫った。雪が降る中、児童らは住民の案内で、細いけもの道を歩いて山頂を目指した。周辺の地理に詳しい消防団の男性の提案で、峠を下った内陸部にある清掃工場に避難。その晩は児童や教職員、住民約200人が工場で夜を明かした。
 雄勝小では当時の全校児童104人のうち、校外にいた1人が亡くなった。学校にいた40〜50人だけでなく、残りの児童も家族や地域の人たちと逃げて無事だった。

◎危機感、地域と共有/避難ルール、協力し作成

 教職員は外部から赴任し、数年で異動するのが一般的だ。入れ替わりは避けられず、時間とともに学校では災害の記憶が薄れてしまう。危機感を保つには、保護者ら地域が防災を学校任せにしない意識が求められる。
 震災当日、石巻市雄勝小にいた児童が無事に避難できた背景には、母親らの備えの下地があった。
 学校に避難を訴えた母親の一人、佐藤麻紀さん(41)は震災の数年前にPTA役員に就いた。「よそから来る先生は津波のことが分からない。必ず、先生たちと子どもを逃がす相談をしておいてね」。前任者からこう念を押されていた。
 「信頼関係を築くには、顔を見て話すのが一番」。普段から学校に顔を出し、教員とお茶を飲みながら、防災に限らずさまざまな話をした。震災前の夏には学校の草むしりに合わせ、佐藤さんら親と児童、教職員が一緒に新山神社へ登り、避難路を確かめていた。

 津波被害を受けた石巻市湊小(児童138人)のPTAは今月、「震災対応防災(減災)ファイル」を完成させた。湊地区をベースに、地震のメカニズムや日頃の備え、避難時の行動ルールを分かりやすく解説する。新年度から学校の防災教育に活用する。
 PTA会長で消防士の斉藤健彦さん(41)が中心となって作成した。「災害を防ぐのは難しいが、被害は一人一人の意識次第で減らせる。いざという時にどこへ逃げるか、家庭で話し合うきっかけにもしてほしい」
 震災発生の当日、津波は湊小の校舎2階近くに達したが、学校に残っていた児童約200人は上階に逃れ、無事だった。
 周辺では渋滞中の車が次々と濁流に巻き込まれた。同校でも4年生の女子児童が帰宅後、両親、祖母と車で移動中に津波に遭い、命を落とした。学校に残っていた弟=当時1年=の元に向かう途中だったとみられる。

 被害を繰り返すまいと、ファイルでは徒歩避難を促すと同時に、保護者に対し、警報解除後にわが子を迎えに来るよう呼び掛けた。
 「子どもも大人も、もう1人の犠牲も出したくない。学校と保護者が一体となり、地域に『減災思想』を根付かせたい」と、斉藤さんは願う。
 湊小は現在、内陸寄りの住吉中で授業をする。2014年春には近隣の湊二小と統合し、元の校舎での再開を目指す。
 宝鉄雄教頭(60)は「実際に避難訓練などにファイルを使い、気付いた点があれば、保護者側に伝えてより良い形にしていきたい」と語る。

[英訳] https://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150108_08.html


2013年03月30日土曜日


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