第5部・備えの死角(2)防潮堤/「万里の長城」油断招く

津波は、高さ10メートルの防潮堤を軽々と乗り越え、まちを襲った(イラスト・栗城みちの)
津波で甚大な被害が広がった宮古市田老地区。「万里の長城」とも呼ばれたX型防潮堤は海側の一部が崩壊した=2011年4月25日

 その威容は「万里の長城」と呼ばれ、津波防災の象徴だった。岩手県宮古市田老地区にあった高さ10メートル、総延長2433メートルのX形防潮堤。東日本大震災では皮肉にも、強固な壁の存在が油断を招いたとの見方がある。

 海側の防潮堤で十分だべ−。
 3、4メートルだっただろうか。ラジオが津波の予想高を伝えた。戸塚力さん(67)の自宅は田老地区でも海から離れている。海側、陸側の2重の防潮堤がそびえる。
 本震から30分すぎ。自宅から約200メートル先の高台にある神社を目指して歩き出した。約600メートル離れた陸側防潮堤の辺りに漂う黒いもやもやが目に留まった。
 「火事でねえか?」と最初は思った。防潮堤を乗り越えた水しぶきだった。「津波だ!」。妻=当時(62)=は、まだ自宅にいるかもしれない。戻るかどうか迷ったが、神社に走った。
 津波は速かった。神社に向かう階段に足を踏み入れた時、背後を壊れた家が流れていった。妻は帰らぬ人になった。

 「津波太郎」。たびたび津波に遭った田老地区の異名だ。1896年の明治三陸大津波、1933年の昭和三陸津波で壊滅的な被害を受けた。
 昭和三陸津波の後、当時の田老村は防潮堤を築いて、現地再興する道を選んだ。57年度に陸側が完成。78年度には、海側も整備された。
 20年ほど前に亡くなった戸塚さんの母は、昭和三陸津波で母を失い、自分も流された。「地震が起きたら津波が来る。すぐ逃げろ」と繰り返した。戸塚さんはあの日、安全を疑わず、母の言葉を生かせなかった。

 地元小中学校の校歌に歌われる防潮堤。海外から視察も訪れ、住民の誇りだった。
 「世界一、日本一だの言われた堤防を越えるようなものは、まさか来ねえべ」。武蔵恵子さん(71)は信じていた。
 本震の後、自宅の外に出ると、足早に避難する知人を見かけた。「あなた逃げるの? おらまだ逃げない」。家に戻って、常備薬を探した。
 突然、開いていた玄関の先に津波が見えた。水が家に入ってくる。高台側の部屋に移動して、助けを求めた。近くに居合わせた人たちに窓から救出された。
 漁業山本源一郎さん(61)は、防潮堤と並行する国道45号を軽トラックで自宅に向かった。ラジオは津波の予想高を告げていたが、通行規制もなく、車は流れていた。不安は感じなかった。
 「ドーン」。突然、衝撃音を伴って泥水が防潮堤を乗り越え、国道に流れ込んだ。強烈なあおり風を受け、道路沿いの菓子店に激突。水没する車の窓から脱出した。
 「防潮堤の向こう側で波がどこまで来ているか分からなかった」。前後を走っていた車は消えていた。
 震災後、田老地区の津波の高さは平均16メートルに達したことが東北大の調査で分かった。同地区を含む旧田老町では、宮古市で最多の181人が犠牲になった。

◎進む対策、増す過信/巨大構造物に教訓風化

 巨大防潮堤に抱かれた宮古市田老地区は、東日本大震災まで大津波の被害を受けなかった。構造物の安心感だけが一人歩きした。
 1933年の昭和三陸津波の後、57年度に完成した陸側(1350メートル)の防潮堤は高さ10メートルある。
 当時の田老村(その後の田老町)は、1896年の明治三陸大津波の最大津波高が15メートルだったことを踏まえ、高台にまっすぐ延びた見通しの良い道路を造り、避難訓練を毎年実施するなど逃げる対策も取り組んだ。
 1960年にはチリ地震津波が起きた。津波高は3〜6メートルあったが、太平洋沿岸部で防潮堤があった場所は目立った被害がなかった。構造物による津波防災がこれを契機に全国で主流になる。

 田老町にも78年度、新たに海側(全長1083メートル)に防潮堤が完成した。二つの防潮堤に挟まれた、以前の津波緩衝地帯で宅地化が加速した。津波が生活を脅かす機会はなく、津波被災は過去の出来事になった。
 2005年の合併まで田老町長を務めた野中良一さん(77)は「避難訓練の参加者は減少傾向にあり、風化を感じていた」と振り返る。
 在任中の2003年、昭和三陸津波から70年の節目に津波防災の町を宣言。全戸配布の防災だよりで警鐘を鳴らした。
 <現在の防潮堤は津波に遭遇した経験はない。「逃げる間の時間稼ぎ」くらいに思っておかないと、現状を過信したあまりに逃げ遅れ、被災することになりかねない>
 一方で「地震があっても大きな津波は来なかった。私も生涯で経験することはないと思っていた」と、地域に漂った楽観的なムードを説明する。
 岩手県沿岸部の住民の構造物依存をうかがわせる調査結果がある。三陸沿岸に大津波警報が出た10年2月のチリ大地震津波を受け、岩手県と岩手大が、避難指示・勧告の発令対象世帯に実施したアンケートだ。
 「避難しなくて良いと思った」と答えた人の25%が、防潮堤や防波堤などの防災設備の存在を一番の理由に挙げた。

 被災各県は防潮堤を被災前よりも高くし、明治三陸大津波、昭和三陸津波クラスの津波に備える計画だ。
 田老海岸(岩手県宮古市)と本吉海岸(宮城県気仙沼市)の14.7メートル、唐丹湾(岩手県釜石市)の14.5メートルなど10メートルを超える防潮堤も珍しくない。震災のような最大クラスの津波は、住民避難を軸に多重防御で対応する。
 岩手県大槌町赤浜地区は高さ6.4メートルにとどめた。県は14.5メートルを示したが、住民自ら現状維持を求めた。高台移転を基本に住宅再建するため、高い防潮堤は必要ないとの考えだ。
 住民組織「赤浜の復興を考える会」会長の川口博美さん(64)は「人工構造物は、自然の力には勝てない。過信はいけない」と力を込める。
 東北大の首藤伸夫名誉教授(津波工学)は「住民が低い防潮堤でいいと判断したなら、代わりに自分たちで身を守る方法を取ればいい。堤防の高さを住民の意思で決めることで、安全を身近な問題として考えられる」と助言する。

[英訳] https://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150207_03.html


2013年04月30日火曜日


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