<あなたに伝えたい>閖上でずっと一緒に

自宅跡地を訪れ、思い出をかみしめる橋浦さん(左)と愛斗さん親子=10月、名取市閖上

◎橋浦美一さん(名取市)から勇さん、澄子さん、ともえさんへ

■あのとき何が
 名取市閖上の災害公営住宅で暮らす警備員橋浦美一(よしかず)さん(43)は東日本大震災で父勇さん=当時(76)=と母澄子さん=同(70)=、妻ともえさん=同(32)=の3人を失った。父は散歩中、母は在宅中、妻は勤務中に震災に遭い、津波に巻き込まれたとみられる。

 勇さんとは少年時代にしたキャッチボールが忘れられない。「昔ながらの人で物静かだったが、いいおやじだった」。父の実家が漁師で、たまに籠いっぱいの魚を持ち帰ってくることもあった。
 「優しくて、周囲からも信頼されていた」という澄子さん。キノコ採りが得意で、食卓にはアミタケなど季節の味覚が並んだのが懐かしい。薄味ながら、うま味が詰まったおからが「おふくろの味」だった。
 「運命で巡り合った」という北海道出身のともえさんとは24歳で結婚した。地元の笹かまぼこ製造会社に勤め、「女工場長を目指す」と言うほど仕事熱心な妻だった。バレンタインデーにチョコレートではなく笹かまをもらったのも、いい思い出だ。
 橋浦さんは名取市内の工事現場で勤務中に大地震に見舞われた。当時、小学2年だった長男愛斗(まなと)さん(17)とは翌日に避難先の旧閖上小で再会したが、両親と妻は見当たらなかった。連日、遺体安置所に足を運び、最後に母の遺骨が戻ってきたのは約2年後だった。
 「なんとなく普通の暮らしになってきた」。愛斗さんと親子2人、約4年間の仮設住宅暮らしを経て、2017年12月、生まれ育った閖上の災害公営住宅に移り住んだ。
 仮設住宅の頃は深い喪失感からすっかり気力を失い、すさんだ生活を送っていた。「部屋はごみ屋敷みたいで、布団は万年床。食事は冷凍食品ばかりだった」と振り返る。
 だが、災害公営住宅に入居してからは「部屋が広く、片付けないとどうしようもない」と、掃除や洗濯、料理など小まめに家事をこなすようになった。「調味料をいろいろ覚えたい」と気持ちも前を向き始めた。
 亡くなった家族と「いつまでも一緒にいたい」という思いから、3人の墓は自宅の一室にある。
 「守ってあげられなくて、本当にごめんね。天国から温かく見守っていてほしい」と橋浦さん。愛斗さんは「将来はちゃんと就職し、立派な家庭を築く。安心してほしい」と誓う。
(岩沼支局・小沢一成)


2019年11月10日日曜日


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