復興再興

あの日から

復興の歩み

<あなたに伝えたい>人のため働く姿見て

母の名を刻んだ慰霊碑に向き合う迅さん=仙台市宮城野区蒲生

◎佐藤迅さん(宮城県大和町)から道子さんへ

■あのとき何が

 宮城県大和町の町職員佐藤迅(しゅん)さん(24)は東日本大震災で、母の道子さん=当時(45)=を失った。道子さんは仙台市宮城野区蒲生にあった自宅で地震に遭い、迅さんら家族と別に避難する最中に津波にのまれたとみられ、今も見つかっていない。

 「自分が学校に行っていたら、母は助かったはずだった。ずっと後悔していた」。あの日を振り返ると、涙がこぼれる。
 中学校の卒業式を翌日に控えていた。目覚めると、車酔いのような症状があり、学校を休んだ。朝から太白区の実家を訪れる予定だった道子さんは迅さんを心配し、自宅にとどまった。
 昼に体調が戻り、5歳年上の姉らと多賀城市のショッピングモールに出掛けた。揺れがあったのは、買い物をしていた時だった。
 「一緒に避難しないと」。家にいるはずの道子さんを連れ出すため、姉の車で急いで戻った。姿が見当たらない。津波が押し寄せる直前、内陸側に引き返した。
 翌日見た地元の光景に、目を疑った。自宅の1階に車が突っ込み、どこに何があるか分からなかった。
 道子さんを捜しに、避難所や遺体安置所になった利府町のグランディ21に毎日、足を運んだ。
 父や姉、兄が母と過ごす日々を奪ってしまったと自らを責めた。「迅のせいではない」と、家族はかばってくれた。
 いつも道子さんは迅さんの話をしていたと、行方不明のまま執り行った葬儀で、参列者から聞かされた。
 小学2年でサッカーを始め、試合があると、母は誰よりも大きな声で応援してくれた。学校の成績が振るわず、やんちゃをするたびに道子さんを困らせた。「ばかなのはかわいいけど、度を超すとね」。優しく諭すような声が今も、記憶に残っている。
 中学卒業後は宮城農高に進学。専門学校を卒業し、3年前に役場職員になった。多くの人の役に立ちたいと自ら選んだ仕事だ。
 住宅が立ち並んでいた蒲生地区は震災後、市の区画整理事業で様変わりした。道子さんのためにと、自宅跡に建てた小さな墓も、今はない。
 落ち込んだり、当時を思い出したりすると、ふと蒲生に戻ってくる。
 「育ててくれた母と家族に、頑張っている姿を見せて安心させたい」。道子さんの名を刻んだ慰霊碑と向き合い、静かに誓う。
(報道部・栗原康太朗)


2020年06月11日木曜日


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