復興再興

あの日から

復興の歩み

<あなたに伝えたい>苦楽共に悲しみ今も

敏夫さんの写真を懐かしそうに見るみさをさん

佐藤みさをさん(宮城県南三陸町)から敏夫さんへ

■あのとき何が

 宮城県南三陸町志津川の佐藤みさをさん(82)は東日本大震災で夫の敏夫さん=当時(74)=を失った。一度は自宅から旧清水小校庭に逃げたものの、自宅の方に戻る途中で津波に巻き込まれたとみられる。

 あの日はいつもと変わらず夫婦で自宅にいた。地震の大きな揺れに、「津波が来る」と思った。急いで身支度し、それぞれの車で自宅から約700メートル離れた旧清水小の校庭に向かった。
 だが、敏夫さんは「校庭にいろよ」と言い残し、海の近くにある自宅の方へ戻って行った。みさをさんは地震の恐怖で言葉が出ず、「どこに行くの」と聞くことができなかった。
 清水地区は約13メートルの高さまで津波にのまれ、壊滅的な被害を受けた。40人近くが犠牲になり、敏夫さんの行方は今も分からない。「あの日の後ろ姿が忘れられない」。長年連れ添った夫の最後の姿になった。
 「指の1本、爪のかけらでも見つかれば諦めがつくのに」。意地になり、夫の死を認めることができなかった。
 唯一見つかったのは、釣り船で着ていたオレンジ色のライフジャケット。みさをさんが生地に書いた「宝幸丸」の船名で、敏夫さんのものだと分かった。心の区切りをつけるため、震災から2年後の3月11日に葬儀をした。
 2人は町内の和菓子店で働いていた時に出会った。敏夫さんは菓子職人、みさをさんは売り子だった。親戚の薦めもあり、20代の頃に結婚した。
 曲がったことが大嫌いで真っすぐな性格だった。みさをさんは「人の悪口は聞いたことがない。とにかく真面目な人だった」としのぶ。
 趣味はカラオケ。自宅に専用部屋を作り、友人を招いてよく歌った。みさをさんがいつも手料理でもてなした。おはこの演歌「女のきもち」は何度も聴いた。
 震災から9年が過ぎた。苦楽を共にしてきた夫を失った悲しみは消えない。仏壇の遺影に「どこに行ったの」「まだ帰ってこないの」と語り掛けてしまう。「もし、目の前に現れたら抱き締めたい」
 災害公営住宅で1人暮らしだが、女性グループ「歩歩笑(ほほえみ)の会」を結成して仲間と楽しく活動している。「残りの人生は好きなことをして過ごしたい」。天国の夫もほほ笑んで見守ってくれているだろう。
(南三陸支局・佐々木智也)


2020年07月11日土曜日


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