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<仙台いやすこ歩き>(85)きんつば/3日かけ作る庶民の味

 お盆のころ、お墓参りの帰りにおばあちゃんと甘味処(どころ)に寄るのが楽しみだったなと思い出していると、「そう言えば、あの店もお寺の隣」と浮かんだのが、きんつば専門店だ。
 「えっ、きんつば専門店なんて、仙台にあったの?」と、興味津々のあんこ党画伯と連れだってやって来たのは、仙台市宮城野区の東仙台。利府街道沿い、寺と神社のまさに門前に、「みやきん」と書いたのぼりが立っている。小さいけれど存在感のある店構え。「宮田きんつば店」の店主、宮田和昌さん(53)が迎えてくれた。
 ショーケースには、きんつばの他に3種類ほどで、ほんとに専門店だぁと思わされる。「きんつばは茶道菓子ではなく、煎茶のお茶請けなどとして親しまれてきた和菓子なんですよ」と開口一番に教えてくれる宮田さん。
 きんつば店開店の経緯を伺った。以前勤めていた旅行会社を辞めたのが2000年。再就職と思ったが見つからず、周囲から店を始めてはどうかとの声もあって、お菓子屋さんならやってみたいと思ったそう。宮田さんは子どもの頃、蒸しプリンを手作りするお菓子大好きっ子だったようだ。

 そこから山形の菓子店で1年修業。「ずっとあんこ担当でした」。お店の社長さんと息子さんに開店に向けて相談をしたところ、大きな設備なしで作れるきんつばがいいんじゃないかと勧められた。そうして開業したのが2010年。
 オープンから丸8年の店には、お客さんが次々とやって来る。「ねえ、みいさん、男のお客さんが多いよね」と画伯。確かに50代から70代の男性客が続くのにびっくりしていると、次も男性。「開店以来ずっと来てるよ。常連というよりファンだよ」と話してくれる。
 きんつば作りは、全て宮田さん1人の手作業。1日目、小豆を水から煮ることに始まる。渋切りを2回、そして砂糖を入れての本煮。2日目に焦げ付かないよう木べらで煮詰め、寒天を加え、流し缶に入れて一晩冷やし、3日目にようやく切って6面を焼く。なんと、庶民のきんつばは3日がかりで作られているのだ。
 焼く工程を見せてもらった。一文字という焼き器の上で1面ずつ溶き粉に漬けながら焼いていく。この粉も宮田さんは試行錯誤し、3種類の粉を混ぜているそう。その手の動きがゆっくりとしたリズムとなって、見ていても楽しい。「昔から変わらない製法なんです。奇をてらわない分、真面目に作っています」という宮田さんの顔や腕には、小豆を煮る時にできた小さなやけどの跡があっちこっちに。
 冬には「いもきん」、桜の季節には白小豆で作る「さくらきんつば」も季節商品として登場するそう。

 行きはバスだったから帰りは電車でと、2人はJR東仙台駅へ。上り電車が行ったばかりのホームで、どちらからともなく「食べようか」と手に取ったきんつばは、半分透けて見えるところもきれい。しっとりもちもちの皮。中にはぴかぴか光るあんこ。甘過ぎず、素朴な温かみが伝わってくる。「もう一ついけそう」。ホームが昔懐かしい縁側に思えてきたいやすこだった。

◎前身は京都生まれ「銀鍔」

 きんつばの前身は、京都で天和年間(1681〜84年)に生まれた焼き餅の「銀鍔(ぎんつば)」である。銀鍔は米粉で作った皮であんを包み、鉄板の上で焼き、花模様をつけて色付けしたもの。丸くて平らな形と、側面の焼き色が日本刀の鍔に似ていることから銀鍔と呼ばれたといわれる。それが享保年間(1716〜36年)に江戸に伝わり、皮を米粉生地から小麦粉生地に変えて作られるようになった。
 名前がきんつばになったのは、銀より金という考え方からという説や、上方が銀貨幣主体だったのに対し、江戸が金貨幣主体だったからという説などがある。
 江戸に渡って大流行したきんつばは、いつしか四角形で作られるようになっていった。四角になって6カ面焼くことから6面焼きとも呼ばれる。
 今でも富山県には円形のきんつばが残っている。また、同じ製法でサツマイモを材料として作られるのが芋きんである。
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 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。
=次回は27日掲載=


2018年08月13日月曜日


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