特集

<仙台いやすこ歩き>(110)おでん/寒さにしみる庶民の味

 北風ぴゅ〜と吹けば、ぶるるるる〜。すくめた首を伸ばしてみれば、定禅寺通のケヤキも寒そうだ。「やっぱりこの季節はおでんだよー!」と2人は、北風に押されながら仙台市青葉区の稲荷小路にある「おでん三吉」の前に立つ。
 と、ドアが中から開いて「今、ちょうど仕込みの最後が見られるよ」と迎え入れてくれたのは、2代目店主の田村忠嗣さん(76)だ。仙台でおでんといえば、この店。「名店は気が引ける」と勝手に思い込んでいたら、とんでもない。入りにくいどころか、温かい笑顔。1階で仕込み中の3代目代表取締役の田村浩章さん(49)にも迎えられ、まずは4階へ。
 料理人さんたちがあちこちで働く明るく広い厨房(ちゅうぼう)の中、2代目店主は、名物の一つであるニラたまを器から取り出す工程を見せてくれた。蒸し上がったおいしそうなニラたまがつるりつるりと取り出される。その器は、昔懐かしい柄の湯のみ茶わん。「写真撮ってもいいですか」という画伯に「もちろん、うちは何でもオープンだから。この茶わんは100均だよ」とおおらかな答えが返ってくる。
 「じゃあ1階で待ってて」の言葉に1階に戻り、2人前の小鍋のセット作りをしている浩章さんの持ち場にいく。のぞいてみると、よくある茶と白のおでん種に、ロールキャベツ、根っこごと入った長もやしも加わり、彩りも豊か。「今はネットで、インスタ映えっていうのか、若い女性が来店してこの長もやしを一番に注文したりしますね」と浩章さん。20年前、圧倒的に会社勤めの男性が多かったのが、現在は女性と半々で、20代前半の女性が1人で来店するそう。「うちの場合インスタがあってよかった。おでんは庶民の食べ物ですから」
 創業は1949(昭和24)年。それまで宮城県庁に勤めていた初代が屋台から始めた。「終戦間もない頃、当時の屋台はおでん屋が多かったようで、おやじは違いを出すためにだし作りに試行錯誤したようです」と2代目。それが青森県の陸奥湾で取れたイワシで作られる脇野沢の焼き干しと、日高昆布のだしで、さっきから鼻をくすぐっていたのはその香りなんだと気付く。
 頭とはらわたを取った焼き干しで引かれただしは、澄んでいてきれい。そこに下ごしらえした具を入れ、適度な時間で味を染み込ませる。こんにゃくは2日、5時間ゆがいた大根を5時間、練り物は長くて15分。それぞれ適材適時間だ。
 今年で70年。「お客さんに育てられて70年、働く人やみんなに支えられての70年だね。だしの味だってお客さんに教えられて今の味になった。おやじは秋田出身だから昔はもっとしょっぱかったと思うよ」
 食べてみてと出されたおでん皿。「わー、かわいい」と歓声を上げてしまう。2代目、3代目と同じ鉢巻きを巻いたイイダコだ。香り豊かなだし、あんばいよく染みたぶ厚い大根、半月型のニラたま、サンマのすり身とすいすいとおなかに収まっていく。最近では外国のお客さんも多く、笑顔でしっかりと食べてくれるという。「みんな同じだぁ」とうれしくなって外に出れば、寒さも何もどこへやらだ。

◎「でんがく」が粋に崩れる

 おでんのルーツは田楽豆腐だった。「でんがく」に女房言葉の「お」が付き、その呼び方から、粋に崩れて「おでん」になったといわれる。
 江戸中期以降、みそをつけて焼くスタイルから串をつけたまま煮込む料理法に進化し、こんにゃくのおでんが出現。しょうゆの普及とともにしょうゆとだしで煮込む鍋物に成長した。江戸後期の「俚言集覧(りげんしゅうらん)」には「こんにゃくの田楽はおしなべておでんという」とある。さらにサトイモ、焼き豆腐、ダイコン、ゴボウ、ちくわ、はんぺんなども登場。江戸では「四文屋(しもんや)」といって、値段は全て4文(現在の80円弱)という屋台のおでんが人気を集めた。
 これにさつま揚げなどの魚の練り物も加わりながら普及し、大正時代には上方にも伝わり「関東炊き」と呼ばれた。
 おでん三吉のさつま揚げには「がんばろう東北」の焼き印が。東日本大震災直後に九州から送られたもので、今もそこから仕入れている。
 参考文献/広済堂出版「江戸の食ごよみ」

 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2019年12月09日月曜日


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