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<仙台いやすこ歩き>(114)すいとん/懐かしい昭和 家族の味

 「ねえ、すいとん作ったことある?」。画伯の不意打ちの質問に「うーん、手伝ったことはあるけど自分で作ったことはない」と答えると、じゃあ作り方を教えてもらおうと話がまとまった。いつものんびり屋なのに、すぐに教えてくれる人を見つけられたのも動機は一つ。すいとんが食べたいから。
 今回おじゃましたのは、料理大好きな御年93歳の三浦和子さん。仙台市街を見晴らす高台に猫1匹と暮らしている。「育った家が小さな旅館だったから、16歳のときからずっと料理を作ってたのよ」と話す三浦さんは、週1、2回バスに乗って仙台朝市へ通い、食材を自分の目で見て選び、毎日料理を作っている。
 すいとんも好きで時々食べたくなって作るそう。「簡単だからね。それに今はすいとん用の粉まで出てるから」といいつつも、今回はもともと使っていた小麦粉での作り方を教えてくれた。
 用意するのは小麦粉(薄力粉)と水。具はハクサイ、ネギ、シメジ(キノコ)、油揚げ。だしは煮干しで取る。
 「具はあり合わせの野菜でいいの。戦後はね、道路っ端のゲロッパ(オオバコ)を入れても作ったね。ゲロッパは意外においしいの。あの頃は空気も雨もきれいだったから、雨上がりに草をとって、洗ってもんで生で食べてもおいしかったね」
 70年前の話に、いやすこ2人も「へー」とか「ほー」とか繰り返す。戦後、仙台駅前辺りですいとんが売られていたかと聞くと「雑炊を売っていて人が行列していた」という。
 料理教室の始まりだ。ボウルに小麦粉を入れ、少しずつ水を注ぎながら割り箸で混ぜ合わせる。その際、割り箸は2本に割らないまま使う。指先で触って、耳たぶより若干軟らかいぐらいになったら、水で湿らせた手で左右の手のひらにぽんぽんと持ち替えながら空気を抜き、15分ほど寝かせる。
 その間に鍋で煮干しだしを取り、具材を切って入れ、しょうゆ汁を作る。「味がなんか足りないと思うときは、風味調味料を少し入れればいいの」と至って気軽だ。15分たったすいとんを一口大につまみながら熱湯でゆでる。ふわっと上がってきたら網ですくい、汁に入れて温め直せば出来上がりだ。
 作りながら三浦さんはすいとんにまつわる思い出を話してくれた。小さい頃住んでいた埼玉では「つめり」といい、北海道へ行ったら「すいとん」だったそう。戦争末期になると米もなくなってきたので、すいとんがよく食卓にのぼったという。「そうそう、東日本大震災の時も、家族みんなが身を寄せ合っていた娘の家で卓上こんろで作って食べたね」
 いやすこ2人はこたつに入って湯気を立てるすいとんをいただく。画伯が「わー、子どもの頃を思い出しちゃった。おばあちゃんがよく作ってくれたっけ」。懐かしい昭和の家族を温めた味だ。
 早速おさらいのつもりで自分で作ってみた。と、あんなに簡単そうだったのに、すいとんはトホホな形になってしまい…「料理は慣れ。食べることは生きること」との三浦さんの言葉が浮かんできた。また教えてもらいに行こうっと。

◎おぼえがき/食料難の時は米飯の代用

 すいとんは漢字で「水団」または「水飩」と書く。小麦などの穀類や木の実を粉末にして水で練り、湯や汁に落としたものだ。
 その歴史は古く、室町時代にさかのぼる。今のように手びねりした小麦粉の形になったのは、江戸時代後期で、以来、戦前まではすいとん専門の店や屋台もあった。
 関東大震災直後や第2次世界大戦の末期、戦後の食糧難の時は、米飯の代用品としてすいとんがよく作られた。その頃は小麦粉も不足し、大豆粉やトウモロコシ粉、また、ヌカなどが混ぜられたものも材料として使われた。
 すいとんの名も、全国を見渡せば「ひっつみ」「つめり」「とってなげ」「おだんす」「ひんのべ」とさまざまあり、味付けもみそ仕立て、しょうゆ仕立てなど、地域や家庭によって異なる。
 宮城県北や岩手県南の名物「はっと」も、すいとんの一種。水で練った小麦粉を、指で伸ばしながら薄い麺のようにする郷土料理だ。

 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2020年02月17日月曜日


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