特集

<伝えたい戦争体験>空襲で仙台が火の海

無職遠藤たかのさん

◎岩沼市・無職遠藤たかのさん(84) 

 戦時中は名取市下増田地区に家族8人で暮らしていました。米軍機が上空を飛び交い、爆弾で瓦屋根が壊されたり、家の中まで弾が飛んできたりしたことも。幼い弟を抱えた私は必死で地面にはいつくばり、生きた心地がしませんでした。
 近くの山に造った防空壕(ごう)に大切な着物や食料を保管しましたが、大量のアリがコメに付いたりして食べられなかったことを覚えています。とにかく食料がなく、梅干しや道に生えた草などをおひたしにして食べていました。
 仙台空襲ではB29が次々飛来し、仙台が火の海になっているのが見えました。
 終戦の玉音放送をラジオで聞いた時は、皆が「負けた」と泣いていました。私も米軍に殺されると思いました。終戦後もしばらく、若い女性は家の奥に隠れていました。二度と悲惨な戦争が繰り返されないよう祈るばかりです。

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2015年08月04日火曜日


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