特集

<伝えたい戦争体験>20代以降の夢描けず

佐藤昭典さん

◎仙台市青葉区・郷土史家佐藤昭典さん(87) 

 開戦時は旧制仙台中1年、終戦時は旧制仙台高等工業1年でした。多感な青春時代を銃後で送りました。
 中学はリベラルな校風でしたが、軍事教練の配属将校は非常に高圧的でした。ビンタはあいさつ代わり。呼び出され竹刀でたたかれながら、軍隊や軍の学校への志願を強要されました。
 4年生だった1944年11月、学徒動員で川崎市の軍需工場に行きました。B29の猛空襲が続き、京浜工業地帯は焼け野原と化しました。
 1トン爆弾の衝撃は言語を絶します。高工進学後、焼夷(しょうい)弾中心の仙台空襲にも遭遇しましたが、印象が薄くなるほどのすさまじさでした。
 戦地か本土決戦で死ぬと思い定めました。20代以降の夢は全く描けませんでした。終戦時は悔しさと虚脱、死なずに済む安心感が交錯しました。
 戦争を振り返ると多くの犠牲に涙が出ます。今の自由がうそのようです。しかし異常な締め付けと命の軽視。暗黒の軍国日本は本当にあったのです。

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2015年08月04日火曜日


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