特集

<伝えたい戦争体験>戦時下で惨めな生活

阿部昭夫さん

◎登米市・無職 阿部昭夫さん(88)

 仙台工専(現東北大工学部)2年の時、学徒動員で八戸市の化学工場で働きました。火薬の原料製造に携わったのです。
 ある日の夜、八戸で空襲がありました。工場から約2キロ離れた会社の寮の防空壕(ごう)から、米軍機による工場への銃撃、爆弾投下を見ました。多くの夜勤の人たちが亡くなり、工場は跡形もなくなりました。「アメリカ憎し」の感情が芽生えた記憶があります。
 この後終戦を迎え、仙台は焼け野原になりました。仕事もなく、日本はこれからどうなってしまうのかと心配になりました。
 私が物心ついたときから日本は戦時下にありました。4歳の時に満州事変。その後、上海事変、支那事変(日中戦争)、大東亜戦争。食べ物をろくに口にできない、服もぼろぼろの惨めな生活をしていたあの頃を思うと今はまったく不自由がない時代だと感じます。

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https://photo.kahoku.co.jp/graph/20150702/sendaikusyu/001.html


2015年08月05日水曜日


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