特集

<伝えたい戦争体験>焼け野原に遺体散乱

木村敬五さん

◎仙台市泉区・無職 木村敬五さん(82)

 市民団体「仙台の戦災・復興と平和を語り継ぐ会」の一員として戦争体験の語り部をしています。当時を思い出すのはつらいですが、若者に経験を伝えるために続けています。
 1945年7月10日未明にあった仙台空襲の記憶は鮮明に残っています。当時12歳。その数カ月前に家族と名古屋から疎開してきて、青葉区の西公園そばに住んでいました。
 床に就いていましたが爆撃機の腹の底に響く重低音に跳び起き、家族と西公園下の横穴防空壕(ごう)に避難しました。空襲後の街は焼け野原で、手足が焼け落ち胴体だけになった遺体がごろごろと転がっていました。
 数日後、遺体は軍のトラックの荷台に荷物のように山積みにされ運ばれていきました。想像できますか。それが戦争なのです。
 武力では何も解決しません。世界中と対話することが大切です。

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https://photo.kahoku.co.jp/graph/20150702/sendaikusyu/001.html


2015年08月07日金曜日


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