特集

<伝えたい戦争体験>奪われた学びや 級友

宮城県大河原町・市場貞子さん

◎宮城県大河原町・主婦 市場貞子さん(86)

 白石高等女学校に入学した年に太平洋戦争が始まりました。楽しかった英語の授業は「敵国語」として時間割から消え、替わりに校庭に芋を植えたり竹やりの訓練をしたりしました。
 戦争が激しくなると、学徒動員で級友の多くが神奈川県の海軍工場へ。残った私たちは宮城県柴田町の火薬工場で働きました。背の高い人は火薬の材料を運び、背が低かった私は機銃火薬の切断作業をしました。12時間勤務の重労働。過労で倒れ亡くなった松崎静香さんのことは忘れられません。
 終戦後、中学校教諭になりました。戦争で父親を亡くした子どももいました。学びやを奪い、級友を裂き、故郷を離れて重労働をさせた戦争は二度と繰り返してはいけない。若い人たちに伝えなくては、と義務感のような思いで折に触れて話をしてきました。最近はその機会が少なくなってしまったのが残念です。


2015年08月09日日曜日


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