特集

<伝えたい戦争体験>「白米は敵」弁当検査

佐藤良寿さん

◎宮城県加美町・無職 佐藤良寿さん(80)

 1937年11月に日中戦争で父(良一さん)が戦死しました。父は28歳、私は2歳でした。だから父の記憶はありません。所属部隊が、塹壕(ざんごう)で指揮を執っていた部隊長を除き全滅したそうです。
 苦労したのは母(寿子さん)です。22歳で父の両親と幼子を抱える身となりました。「実家に戻ってこい」との話もあったようですが、父も私も一人息子。家を継ぐ人がいなくなるため残ったようです。
 母は頑張り屋で、その後、学校に入って教員資格を取り、小学校の先生をして養ってくれました。母は東日本大震災の翌日、96歳で亡くなりました。
 戦時中は配給制のため食べ物も着る物もなく、とにかく貧しかったです。学校では「白米は敵」と弁当検査がありました。貧しくて弁当を持ってこられない子もたくさんいたのに。嫌な思い出です。

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2015年08月11日火曜日


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