特集

<伝えたい戦争体験>五橋から北焼け野原

石井敏夫さん

◎仙台市青葉区・会社役員石井敏夫さん(88)

 仙台空襲翌日の1945年7月11日、定禅寺通で亡くなっていた若い母親の姿が目に焼き付いて離れません。空襲による火災の煙を吸い込んだのでしょうが、幼子を胸元にしっかり抱きかかえたままでした。
 当時は旧制仙台高等工業の3年生でしたが、学徒動員され、空襲当日は茨城県土浦市の工場でゼロ戦を整備していました。米軍機がどんどん北に向かっていくのを見たので、NHK仙台のラジオ電波を受信すると、アナウンサーが「放送局の裏まで火が来ています」と伝えていました。
 それで翌日、私がクラスを代表して列車で仙台に戻ることになったのですが、長町駅以北の区間は不通。仕方なく歩いていくと、五橋から北側が一面の焼け野原になっていました。母親と幼子はその一角に倒れていたのです。猛烈な悔しさと喪失感に襲われました。戦争は、もうしてはいけません。


2015年08月18日火曜日


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