特集

<伝えたい戦争体験>空襲時、夢中で逃れる

高橋きよ子さん

◎仙台市青葉区・自営業 高橋きよ子さん(86)

 仙台空襲のあった1945年7月、私は16歳の女学生でした。青葉区北目町の自宅で酒屋を営んでいた父は前年秋に出征し、母と5人の妹弟と暮らしていました。
 空襲の時には一番町方面が真っ赤に燃え上がっているのを見て、私が4歳の妹、母が2歳の妹をおぶり、若林区一本杉町までとにかく走りました。米軍機がドドドドドという爆弾を落とす音が響いていました。無我夢中だったのでくたびれたとは感じませんでした。
 夜が明けて歩いて戻ると、自宅は焼け落ちていました。周辺も焼け野原で、仙台駅や一番町まで見渡せたのを覚えています。仙台駅の東側に住んでいた叔母が迎えにきてくれ、抱き合って大泣きしました。
 父の戦死公報が届いたのは終戦から3年後です。戦争ほど悲惨なものはありません。憲法9条を大切にするべきです。


2015年08月19日水曜日


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