<アーカイブ大震災>余震、冠水…遠距離通学

スクールバスの停留所に向かう車に乗り込む庄子宙君(中央)と父の和行さん=2011年6月30日午前6時50分ごろ、宮城県石巻市東中里

 震災による津波で大きな被害を受けた宮城県女川町では町外に身を寄せ、遠距離通学する子どもが数多くいる。余震の頻発や地盤沈下による道路の冠水など、当初は登下校に多くの困難を抱えた。町教委は町内外にスクールバスを運行させ、教員や保護者も子どもたちをサポートした。

◎学校で何が(2)15km車とバス乗り継ぐ(宮城・女川町)

 平日の午前7時前、宮城県石巻市中心部のアパートを出た庄子宙(そら)君(10)が父和行さん(41)と車に乗り込んだ。
 宙君は女川一小(宮城県女川町)の5年生。アパートから約15キロ離れた学校に通う。町との境に近い市東部にあるスクールバスの停留所まで、和行さんが車で送る。
 「お父さんや友達と一緒に学校に行けるから楽しい」。登校に約1時間を費やす毎日にも、宙君は屈託がない。

 庄子さん一家は和行さん、妻由美恵さん(37)と宙君、長女礼ちゃん(4)の4人暮らし。和行さんと由美恵さんは石巻市内の会社に勤めている。2011年3月11日まで暮らしていた女川町内の自宅は津波で全壊し、震災後は町内の避難所や仙台市内の親類宅などを転々とした。
 「女川には賃貸住宅がないし、小さい子どもがいると避難所では周囲に迷惑を掛ける」(和行さん)と、4月初旬に石巻市のアパートに移った。「女川の学校に行きたい」という宙君の思いを尊重し、石巻から女川に通わせることにした。

 スクールバスは町内の5小中学校に通う児童、生徒が利用する。運行は4月21日に始まった。
 当初、由美恵さんは心配だった。「いつ大きな余震が起きるか分からない。通学途中に津波が来たり、周りの建物が倒れたりしたらどうしよう」。万が一に備え、宙君に携帯電話を持たせた。
 女川一小は避難所となったため、授業は約2キロ東に離れた女川一中で行っている。同中は津波被害を受けた女川港近くの高台にあり、通学には津波で浸水した区域を通らなければならない。
 女川一小では児童約200人の大半がバス通学することになった。「学校にとって、登下校時の児童の安全確保が重要な課題になった」と星圭校長は振り返る。
 学校側は町教委やバス会社と打ち合わせを重ねた。バスの運行ルートは高台の道を優先し、地震発生時にはバスを停車させ、運転手が児童を避難誘導するなどの対応策を決めた。「当初はがれきで埋まった道路があり、運行ルートを選ぶのは大変だった」と4年生を担任する中沢健一さん(35)は言う。
 安全対策の一環として、学校は5月末まで、15人の教員を交代で登下校時のバスに同乗させた。発着状況は随時、電子メールで保護者に伝えた。「子どものことを親身になって考えてくれた」と由美恵さんは感謝する。

 町教委によると、小中学校の全児童・生徒の8割に当たる476人がスクールバスで通学(2011年6月20日現在)。うち町外居住者は計40人に上る。
 バスの運行が軌道に乗った後も、庄子さん夫婦には別の心配事があった。石巻市渡波地区など、アパートからスクールバスの停留所までの道のりの一部は震災で地盤沈下し、冠水しやすい。登校時間と満潮が重なり、停留所に向かう道路が冠水してバス停にたどり着けないこともあった。
 仮堤防の設置や幹線道路のかさ上げなど対策が施され、最近は送迎途中に道路が冠水することもほとんどなくなった。
 「今は安心して学校に通わせることができている。ただ、女川の復興の兆しが見えないので、先の見通しは立てられない」。庄子さん夫婦は口をそろえた。(肘井大祐)=2011年7月5日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2016年02月21日日曜日


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