<NPOの杜>震災9年 福祉避難所役割を問い直す 障害者の運営参加必要

CILたすけっとのスタッフらは震災発生後、困っている障害者がいないかどうか、宮城県内の避難所を回った
被災した障害者らに支援物質を届けるための作業に当たる被災地障がい者センターみやぎの関係者
震災発生後、CILたすけっとのスタッフらは支援物資の準備などに懸命に取り組んだ

 東日本大震災から丸9年が経過しました。日常が奪われた震災で注目された一つが、災害弱者と呼ばれる人たちが身を寄せる「福祉避難所」です。その役割は震災時に果たせたのかどうかなど、仙台市内の団体の経験を通し、改めて考えてみましょう。

 福祉避難所は誰のための避難所でしょうか。内閣府の『福祉避難所の確保・運営ガイドライン』(2016年4月)は「高齢者、障害者の他、妊産婦、乳幼児、病弱者等避難所での生活に支障をきたすため、避難所生活において何らかの特別な配慮を必要とする者、及びその家族」と記しています。
 災害時、こうした人たちはまず、近隣の学校や体育館といった一時避難所に避難します。そこから移されるのが福祉避難所です。
 あの震災時、実際にはどうだったでしょうか。仙台市は08年6月、福祉避難所に指定した施設向けの『福祉避難所開設・運営マニュアル〔指定施設向け〕』を策定。これによって「円滑な開設ができた」と説明しています。
 しかし、課題は残りました。受け入れる対象者の基準が不明確だったり、避難者情報や施設スタッフの不足などが浮き彫りになったのです。
 震災では、障害者や障害者施設が戸惑いながら懸命に動きました。その一つが仙台市太白区長町にある「CILたすけっと」。自立生活センターを運営し、障害のある当事者が障害者の地域生活をサポートしている施設です。
 11年3月11日の震災発生時、スタッフは事務所にいました。「入り口の自動ドアのガラスが割れ、壁にひびが入り、棚が倒れた」そうです。
 スタッフたちは指定避難所の近くの小学校へ向かいました。現地は既に避難者でいっぱい。さらに次々と近隣住民がやって来ました。「混み合って車いすの方向転換もできない。配布されていた物資の受け取りに行くのも困難で、事務所に戻らざるを得なかった」と言います。
 事務所は幸い、断水にならず、翌日に電気が復旧しました。ここで避難生活を送れることになったものの、本来は一時避難所の小学校で行われるはずの「福祉避難所への誘導」はされませんでした。
 「自分たちが置かれた状況は、他の障害者にも共通するのではないか」と考えたたすけっと。障害者を支援する県内の計14団体で11年4月1日、障害者の救援を目的に「被災地障がい者センターみやぎ」を設立。事務局はたすけっとに置きました。
 設立から3年間。阪神大震災の救援活動を教訓に生まれた被災障害者支援団体のNPO法人ゆめ風基金(大阪市)のバックアップを受けて運営に当たりました。
 日頃からサポートを受けている人たちが、自分一人で何とかしなければならないのは大変なことです。たすけっとなどは被災状況を調べ、ニーズを把握。金銭や物資、人手を通じて障害者を支援しました。
 連絡を待つだけではなく、各地の避難所に出向いて障害者がいるかどうかを確かめ、無事に暮らせているかどうかを把握しました。避難所やボランティアセンターなどにチラシを配り、自宅で困っている障害者も探し、支援を広げました。
 「CILたすけっと」は震災後、新たな活動にも踏み出しています。震災での経験を教訓に「障害者自身が携わることが鍵だ」と考え、関連する条例制定に関わり始めたのです。
 関係団体と「誰もが暮らしやすいまちづくりをすすめる仙台連絡協議会」(愛称・条例の会仙台)を設立。16年4月施行の仙台市障害者差別解消条例などに積極的に関わりました。
 震災から9年を経て、仙台市内で指定されている福祉避難所は震災当時の52カ所から117カ所に倍増しました。福祉避難所運営のための協定も改定され、より実践的な内容が盛り込まれました。
 それでも仕組みだけではうまく機能はしません。万が一に備え、普段から私たちができることは何か考えましょう。
 取材では『東日本大震災 仙台市 復興五年記録誌』(仙台市、17年3月発行)を参考にしました。
(認定NPO法人杜の伝言板ゆるる 丹野伶菜)


2020年03月16日月曜日


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