<東北の本棚>将軍慶喜との深い交流

天才渋沢栄一 星亮一 著

 新1万円札の図柄に選ばれ、NHK大河ドラマの主人公に決まるなど、明治の実業家・渋沢栄一が注目されている。みずほ銀行の前身「第一国立銀行」、七十七銀行など多くの会社の設立に関わり、日本の資本主義の父とされる。戊辰戦争をテーマにした小説を手掛ける歴史作家が、彼の歩みを激動の幕末とともにたどった。
 本書の特徴は、渋沢の一生を徳川幕府最後の15代将軍慶喜との交流を中心に描いたことだ。渋沢は1840年、武蔵国血洗島村(現埼玉県深谷市)の豪農の家に生まれた。尊王攘夷論に共鳴する反幕府の活動家だったが、ある事件をきっかけに、村の領主で徳川御三卿(きょう)の一橋家に仕官し、武士になりたいという願望が実現、一橋慶喜と出会う。
 渋沢は家臣団の編成、財政再建で頭角を現し、慶喜に引き立てられた。特に慶喜の弟昭武に同行し、パリ万国博覧会に出席したことは後の人生に大きな影響を与えた。欧州で見聞きした近代文明を貪欲に吸収。渋沢は自分にそんな機会を与えた慶喜に生涯恩義を感じたという。
 渋沢は慶喜が政権を返上したため帰国を余儀なくされた。不本意ではあったが、新政府の要請で大蔵省の要職に就任した。目覚ましい活躍をする一方で、大久保利通ら薩長閥と衝突し、34歳で辞職。その後、銀行を拠点に日本の資本主義の発展に指導的役割を果たした。
 渋沢が終生の事業として取り組んだのが「徳川慶喜公伝」の編さんだった。目的は慶喜の復権。序文に「大政奉還は慶喜公が国を思う深淵(しんえん)なる配慮でなかったか」と記したように、渋沢は慶喜が国内の混乱や外国の植民地になることを懸念し、大政奉還を行ったと信じた。
 渋沢は逆境に屈せず、近代日本の礎を築いた。「彼の本質は幕臣の意地だった」という著者の主張が説得力を持つ。(裕)

 さくら舎03(5211)6533=1650円。


2020年10月11日日曜日


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