<東北の道しるべ>社会的課題事業で解決 「共創産業」東北の自立後押し

密閉装置から黒ニンニクを取り出す小林さん。地域を巻き込んだ産業育成を目指す=北秋田市米内沢
 ふじた・かずよし 1947年奥州市生まれ。上智大卒。75年に大地を守る会を設立。77年に株式会社化し、社長。2017年10月、オイシックスと経営統合し、オイシックスドット大地会長に就任。10年12月からソーシャルビジネス・ネットワーク代表理事。
給油ハウスの前で先を見据える大上さん。畜産業とGSの複合経営に過疎地の未来を描く=岩手県九戸村戸田

 東北で地域内の多様な資源を組み合わせた「共創産業」を興す動きが出ている。足元を見つめた内発型の産業を育てていく在り方は、域内の経済循環を活発にする。東日本大震災以降、事業を通じて社会的課題を解決するソーシャルビジネスも東北各地で生まれている。自立した地域経済を打ち立てた先に、域外にも独自の産業をアピールできる東北の将来像が見えてくる。

◎黒ニンニク一大産地に/建設業3社生産と販売/北秋田しらかみファーマーズ

 約1カ月にわたって高温、高湿の密閉装置で発酵、熟成させたニンニクの果実は白色から真っ黒に変わる。ニンニク特有の香りが飛び、ドライフルーツのような甘さと酸味になる。
 北秋田市の農業法人「しらかみファーマーズ」=?=の作業場で、社長の小林郷司さん(50)が装置から黒ニンニクを取り出してくれた。
 「味のバランスの良さがうちの売り。容器を変えたり、ニンニクの配置を換えたりと、試行錯誤しながら仕上げている」
 こう語る小林さんは元々、農業は全くの素人。本業は地元建設会社の経営者だ。公共工事の先細りが懸念されていた2011年3月、秋田県信用組合(秋田市)の支援を受け、市内の同業者2社と一緒にニンニクの生産と加工を手掛ける法人を設立し、地域の新たな産業の創出に乗り出した。
 ニンニクに着目したのは、産地として知られる隣県の青森県田子町と北秋田市の気候が似ているから。本業のノウハウを生かして耕作放棄地に重機を入れ、樹木を掘り返し、排水管を埋めて水はけを改善した。
 今やニンニク畑は約13ヘクタールに広がる。収穫量は例年100トンで、作付面積は秋田県全体の4分の1を占める県内最大の生産者だ。半量は自社で加工して消費者に直接販売し、バイヤーからの買い取り単価が下落するリスクに備える。
 地域全体のニンニク産地化を目標に掲げる。青森産の相場で秋田産の単価まで決められてしまう現実を打開するためだ。小林さんは「うちだけでなく地域全体で生産すれば、価格形成に参画できる大きな出荷量を持てる」と力説する。
 近隣の農家や農業法人には講習会を開いて種を安く提供し、昨年は10生産者が収穫した計3トン超を買い取った。競合他社が独自のノウハウとして公にしない黒ニンニクの製造法も伝えるし、自社の販売先も紹介して、産地の育成に努める。
 「自分らで金を稼ぐだけなら休耕地に太陽光施設でも置けばいいだろうが、地域の人たちが関わって楽しくならないとね。地域とうちは共存共栄だ」と小林さん。異業種の参入が、地域を巻き込んだ新たな「財」を生み出そうとしている。

◎地方に雇用生み出す契機/藤田和芳氏に聞く(ソーシャルビジネス・ネットワーク代表理事・オイシックスドット大地会長)

 ソーシャルビジネスの意義を、一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク代表理事で食品宅配大手オイシックスドット大地(東京)会長の藤田和芳氏に聞いた。

 ソーシャルビジネスは、経済が冷え込んだ英サッチャー政権や米レーガン政権の時代に生まれた。環境や福祉分野の予算が激減したため、社会的課題をビジネスの手法で解決しようという発想だった。
 これは東日本大震災の時と非常に似ている。当初は行政の支援があり、たくさんのボランティアも被災地に向かった。だが支援を受け続けると人間の誇りは傷つく。しばらくして東北の人やボランティアに関わった若者たちが、被災地が自立するための仕事や雇用を生み出し、「ソーシャルビジネス元年」とも呼ぶべき現象を起こした。
 ビジネスの手法を介在させることが、本質的な解決につながるということに気付いたのだと思う。
 日本は戦後、生産性や効率性を重視して物質的な幸せを追い求める社会をつくってきた。その目指した社会の究極に何が起こるかを示したのが、東京電力福島第1原発事故だった。犠牲はあまりにも大きかったが、事故を境に日本の社会は緩やかに変わり始めている。
 日本全体がグローバリズムという巨大な競争の渦の中に入り、都市が地方を支配するような構造になっている。この構造を変えていくことが地域を持続可能にする大きな視点になる。
 社会的課題の解決とビジネスは本来、対立しない。有機農業の普及を図る「大地を守る会」を設立した時は、農家に「野菜が虫食いでも買ってくれる消費者を探すので、無農薬で作ってほしい」と頼んだ。農家も家族を養わなければならない。農家の収量は減るが、スーパーよりも高く買い付けた。農薬を使う農家や農薬会社を批判するだけの従来型の運動は分断と対立を生み、いずれ行き詰まってしまう。
 株式会社は、英語でカンパニー。元々は「共に分け合って食べる」という意味がある。「稼ぐが勝ち」とばかりに株主や経営者が利益を独占するのではいけない。本業そのもので社会貢献して利益を上げ、その利益を再び社会貢献のために投資するという循環をつくる必要がある。

◎過疎地のGS経営全力/農林畜産業者危機救う(岩手・九戸大上NORIN給油ハウス)

 唯一のガソリンスタンド(GS)が無くなる。過疎地のピンチを救ったのは一人の農林畜産業者だった。
 岩手県九戸村戸田地区で2015年2月、国道沿いの小さなGSが廃業を決めた。頭を抱えたのは「大上NORIN(のうりん)」=?=代表の大上博美さん(45)。隣の久慈市山形町で、おがくず販売や林業の傍ら肉牛の繁殖や肥育を手掛け、GSから灯油や軽油を買い入れていた。
 真冬は氷点下10度以下になる極寒の地に、牛舎があった。「和牛は寒さに弱い。暖房用の灯油を切らすことはできない」。林業機械やトラクターを動かすのに大量の軽油も必要だった。大上さんは途方に暮れた。
 GS経営に乗り出す気はみじんも無かったが、大上さんは翌3月、リース契約でGS施設を引き継いだ。目当ては地下に埋設された巨大な貯蔵タンク。燃料はGSから買うより卸売業者から直接、大量に仕入れた方が費用を抑えられた。
 タンクを手にすると、近隣農家から「油を売ってほしい」と頼まれるようになった。戸田地区は肉鶏の生産が盛んで、農機具に使う軽油の需要があったが、唯一のGSが廃業し、同地区は「空白域」になっていた。
 「みんなが困っているのであれば…」。大上さんは近隣農家の切実な訴えに押され、門外漢ながらもGS経営を始める決意をした。「一刻も早く」と寝食を忘れて準備に奔走し、4月に「大上NORIN給油ハウス」をオープンさせた。
 女性従業員が常駐し、ガソリン、軽油、灯油を販売する。タンクローリーで近隣の農家数百軒に配達もする。もちろん、自社で消費する分はしっかり確保。地域とウィンウィン(相互利益)の関係を目指した。
 オープンから約3年。売り上げは緩やかに伸びている。給油のみのサービスにもかかわらず、利用客からは日々「ありがとう」「絶対やめないで」と声を掛けられる。「ここまで感謝されるとは思わなかった」
 ただ、GSの経営環境は厳しい。大上さんも「他業種とのセットが不可欠」と痛感する。「中でも畜産業とは相性が悪くない。油と縁があるからだろう」。過疎地の救世主には新たなビジネスモデルが見えている。


2018年02月28日水曜日


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