<まちかどエッセー・鈴木弘二>それぞれの3月11日

[すずき・こうじさん]建築家。61年仙台市生まれ。日大理工学部建築科卒、同大大学院修了。現在、鈴木弘人設計事務所代表取締役社長。日本建築家協会本部理事・副会長、東北支部長。東北大、仙台高専、宮城大で非常勤講師を務めた。仙台藩香道と料理、釣り、ゴルフ、旅行が趣味。仙台市青葉区在住。

 3月11日が近づくと、いつもその当時のことが思い浮かんできます。私はその頃、気仙沼向洋高のリニューアル工事を監理する仕事で2週間に1度、定例会議と工事進捗(しんちょく)状況確認のために気仙沼に通っていました。
 仕事が終わると、大谷海岸の「道の駅」に立ち寄り、美しい海岸線や海を眺めながら、自然はいいな、釣りをしたいな、などと考えながら、地元で取れた魚をお土産として買ったりしていました。
 金曜日は現場に来る日とほぼ決まっていましたが、あの11日は、既に工事が完成し、翌週15日の引き渡しを待つばかりだったので、その準備を兼ねて、10日の木曜日に現場に行きました。工事関係者と引き渡しの打ち合わせをし「来週会いましょう」と言って仙台に帰ってきました。
 次の日、私たちはあの未曽有の震災を経験し、被災地は津波により全てを失い、多くの方々が犠牲になりました。その光景は今でもはっきりと覚えていて、あまりの被害の大きさにこれが現実なのかと、すぐには認識できなかったことを記憶しています。
 向洋高は、コンクリートの校舎以外、プレハブの仮設校舎、体育館、現場事務所など津波に壊されて跡形もなくなりました。幸いなことに、学校は春休みで生徒たちが登校していませんでした。
 工事関係者、先生たちは屋上に避難して、3階の床まで到達した津波の猛威から逃れ、雪降る寒さの中一晩過ごし、何とか命を保ったすさまじい話を、3週間後に無事で再会した現場監督から聞きました。
 あれから6年の間、応急危険度判定など被災直後のボランティア活動を皮切りに、日本建築家協会の一員として、また一個人として復興支援活動を行いながら、災害公営住宅や、復興関連施設の設計にも積極的に取り組み、私ができる復興を日々続けています。それぞれの3月11日に合掌。


2018年03月05日月曜日


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