<まちかどエッセー・鈴木弘二>ジャポニスムと私

[すずき・こうじさん]建築家。61年仙台市生まれ。日大理工学部建築科卒、同大大学院修了。現在、鈴木弘人設計事務所代表取締役社長。日本建築家協会本部理事・副会長、東北支部長。東北大、仙台高専、宮城大で非常勤講師を務めた。仙台藩香道と料理、釣り、ゴルフ、旅行が趣味。仙台市青葉区在住。

 東京・上野の国立西洋美術館で1月まで「北斎とジャポニスム展」が開かれ、たくさんの人が訪れたようです。今回は残念ながら行けませんでしたが、私は大学時代からジャポニスムに興味を持っていました。
 西欧の近代建築・美術史を学ぶ中で、建築や美術が19世紀末に、既存のスタイルから一気に新しいスタイルに転換することを不思議に思い、要因を探り、ジャポニスムが大きな役割を果たしたことを知ったのです。
 ジャポニスムは「日本趣味」という意味です。幕末の日本(徳川幕府、薩摩藩、佐賀藩、後に明治政府など)は、西欧で開催される万博で初めて日本文化を紹介するため、陶器、書画、扇、甲冑(かっちゅう)、襖(ふすま)の引き手、浮世絵などの工芸品や美術品、さらには建築や庭園まで持ち込み、展示しました。
 それを見た西欧人は、自分たちの価値観と大きく異なる日本の美意識に驚き、魅了され、ジャポニスムブームが起こり、着物や扇子を身に着けた婦人が町を闊歩(かっぽ)するほどでした。
 特に、絵画の分野では浮世絵や北斎漫画などが、人物、風景、植物、生物など西洋画とは全く違う題材をフラットで陰影がない画法で描写し、そこから湧き上がる力強い象徴性に、西欧の画家たちは衝撃と感動を受けました。
 ゴッホは北斎の絵を毎日のように模写するほどのめり込み、モネは日本庭園風の睡蓮(すいれん)の池を造るほど北斎や浮世絵に憧れました。この情熱が、印象派を生み出す原動力になったと言われています。
 それは、具象から抽象への移行の始まりで、もの(対象)を捉える思考が変化したことを意味します。そのことこそが、ジャポニスムを通して西欧の芸術家たちが発見した重要なことであったと思われます。
 そこからアールヌーボーが開花し、近代社会と共に新しい美術、建築の輪郭が形作られていきました。私はさらに興味を持ち、西欧近代建築史を研究して多くの国を訪ねることになりました。ぜひ皆さんにも、ジャポニスムを感じられるすてきな場所へ、足を運んでいただきたいと思います。
(建築家)


2018年04月02日月曜日


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