<まちかどエッセー・米田公男>仏像と石と芸術

 年齢のせいか石屋という仕事柄なのか「仏像」に魅了されています。きっかけの一つに、俳優で仏師でもある滝田栄さんと仏像彫刻について語った会話があります。氏(師)は仏を彫ることを心から楽しんでいるのが分かります。その時の言葉を思い出すと、おぼろげに仏像が目に浮かぶのです。
 「米田さん、じっと彫刻する素材の原木に向かっていると、その中におられる仏が見えてくるんです。後はノミとツチが自然に動いてね、一塊の樹木から観音様や地蔵様が勝手に現れてきます」と言います。なんとか理解しようとするのですが、私の場合はまず仏様に関する知識や思いが貧困なので、お姿にはならない、現れてはくれないのです。
 趣味の写仏画でも「そろそろ自分自身の思う仏様を描いてみられたらどうですか」と日本画家の富永成風先生は言われるのですが、今はまだ自分の中に「仏様」が浮かび上がってこないのです。
 石屋の仕事でも仏像を造ります。その場合はお客さまから注文を頂き、形式の決まった姿を石の中に掘り出します。彫刻する職人によって多少姿形は違いますが、いわば定番の仏を石に刻んでいくのです。石像職人は芸術家としての「仏師」とは違うのです。絵画や彫刻、塑像であっても、芸術家のように自由に自分の思いをカタチにするという作業は、本当に難しいことなのだと思います。
 石から作品を造り出す芸術家と言えば、最近ご縁をいただいたイタリア在住の武藤順九先生がおられます。白い大理石の原石から彫り出す「風の環」という一連の作品群があります。先生の出身校(仙台二高)が創立120周年になることをお祝いして、卒業生として先生の作品が設置されることになり、私が作品の台座を造ることになりました。
 校舎内に500キロ以上ある黒御影石の台座を運び込み設置。数日後、先生自ら持ってこられた作品を台座の置いた時の感動は、大きなものでした。
 石屋の私が芸術家になることはありませんが、できるだけ発想を広げ、より良い石製品を創るようにしたいものです。(石材店経営)


2019年02月04日月曜日


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